結婚が怖い
シンプルに思う。結婚が怖い。
なぜかというと、それは私のトラウマ。高校の時家庭崩壊になり、家族内いじめにあい、家庭を持つことに対してプラスのイメージが思い浮かばない。
家族って嫌だなーと、今もどこかでちょっと思っている。
子供は可愛いけど、また子供と一緒に幼少期から社会人になるまで、体感しないといけない。
学校が嫌いだった。いじめられたり、先生にも冷たくされて精神を病んだ。不登校になると、家族にもいじめられた。
地元で今も心開けないのは、そういうトラウマがあるからだ。
ママ友もめんどくさいんだろうなあと思う。
子供と一緒に、成人するまでもう一度体感するのは楽しいという人もいる。
私は嫌だ。大人になってやっと自由になれたのに。学生時代は散々だった。
実の母親にも、子育てが悪いと色々干渉されるのだろうなと、想像するだけでナイーブになる。
今の心情としては、「消えたい」という言葉が浮かぶ。
病気持ちだし、それもナイーブになる原因。
まあ先を見ると、しんどくなるイメージは尽きないので、「案ずるより産むが易し」なのかな?
仕事も先を見ると山積みでナイーブになるから、1つずつ目の前のことを片付けていくことを覚えた。
多分、結婚してもそうだろう。多分人生がそんな感じなのだ。
人生は大いなる暇つぶしなのだ。
暇つぶしに結婚するのもアリかもしれない。家庭を持つのもアリかもしれない。子育てするのもアリかもしれない。
先を見ず、今に集中する。
自己完結できたので、ブログはおしまい。
阿波踊りに対する初期衝動。
今年のお盆は、阿波踊りの本来の楽しさを取り戻すお盆だった。
いけだ阿波おどりで、連を法人化したプロの阿波踊り集団寶船を呼んでコーディネートをした。
数年前、阿波踊りを仕事と思って踊ってくれと言われ、阿波踊りの純粋な初期衝動を忘れてしまいそうで、心の中がぐちゃぐちゃして、阿波踊りが踊れなくなった。
ドクターストップ。遊び半分ならいいよと担当医に言われた。
覚えてはいないが、記憶にないぐらい小さい時に、夏にぞめきが聞こえるとピュンっといなくなって阿波踊りの連の近くに行き、踊っていたらしい。ぞめき囃子が聞こえると、心がウキウキして、身体が踊り出す。
その大事な初期衝動を忘れそうになったのだ。
楽しんで踊りたい。
娯茶平の前の連長だった、阿波踊りの名手四宮生重郎さんの踊りが大好きなのだが、娯茶平を辞めた理由も娯茶平がビジネスライク、金儲けの方に走っていったから辞めたそうだ。
四宮生重郎さんは、心から楽しんで踊っている。そういう踊り手さんと近いものを感じたのが寶船だった。
仕事と思って踊るのなら、プロになればいいのに。実際に連を法人化した寶船さんの存在を知っているから、当時は余計モヤモヤした。
寶船と一緒になって踊って分かったのも、楽しんで踊っているけど、本当にプロだということ。楽しみながらプロ意識を持って踊っていた。実際舞台の演出を決めるのも、たった5分ぐらいで決めて、失敗せず大成功を収めていた。かなりの練習量と、ステージ慣れをしているのだと分かった。普通なら、一ヶ月前から何回も舞台の練習を重ねているのに。ライブ感のある演出だった。
脱線するけど、『この世界の片隅に』で戦中が身近になったのだけど、徳島市内へ行った時、この熱狂は戦争が終わり、阿波踊りが解禁され戦争から“解放”された踊りなのだなと、ふと思った。歪みながらも耐えた戦争が終わり、“解放”された踊り。終戦(敗戦)からの解放された熱狂が現代と地続きな気がした。
綺麗に綺麗に踊るのが阿波踊りじゃない。“解放”の踊り。
だからこそ寶船には、阿波踊りの初期衝動を感じる。
再来年の瀬戸芸には、寶船をアート作品として出展するように動いている。過去に切腹ピストルズもアートとして出展しているから、不可能ではない。
阿波踊りの初期衝動を取り戻した今年のお盆。
また来年も、いけだ阿波おどりの寶船のコーディネートをして頑張る。
阿波踊りは、“解放”の踊りなのだ。
薬が減った。
恋人の力は凄いなと改めて思ったので、日記に綴る。
恋人がいるだけで、頑張れる。
恋人がいるだけで、安心する。
恋人のいるだけで、癒される。
恋人がいるだけで、余裕ができる。
恋人がいるだけで、居場所ができた感じがする。帰る場所がある。
なので、薬の量が減った。
不安時のリスペリドン、過呼吸時のコンスタンは、今飲んでない。
不眠の時のレンドルミンも、次の日早く起きる時だけ。
結婚前提でお付き合いをしている。彼も鬱の時があったので、私の病気を理解している。
今までの人は、気合いで治せと言う人ばかりだった。
しかしいかんせん、心の病や、精神という言葉の使い方は良くない。実際は脳の病気だ。
心や精神の病だから、気合いで治せと言う輩がいるんだな。凄い誤解だ。
将来脳の病気として、世間に認知されるといいな。精神疾患ではなく、脳の疾患と。
もう、自分だけの身体じゃないので、健康にも注意する。
しかし久しぶりに片付けができるぐらい、精神に余裕ができた。
恋人の存在に感謝である。
美人でいけずな人。
美容業界にいるので、綺麗な人はいっぱいいる。
みんな自分の容姿に自信があって気が強い人が多い。
私は、女の子女の子してる人が苦手だ。赤文字系やコンサバな人。モテ系な人。
かくいう私は、若い時は個性派で最近はモード服を着ている。モテ系な女性は避けてきたタイプ。
地元に帰り、地元のファッションは保守的なので、私のファッションは浮いている。そしてモテを意識した人も多い。
なので、女子会が苦手。去年所属していた美容家が集まるシェアオフィスが慣れなかったのは、閉じた女子会だったからだ。女子会みたいなコミュニティ。
私はおしとやかな女性が好きだ。控えめで、芯がしっかりしてて頭の良い人。みんな綺麗なんだけど、自分の容姿に自信持っているタイプでもない。
この間、久しぶりに根掘り葉掘りなコミュニティの人と接したのだけど、一歳しか違わないのに上から目線ねと、その場にいた母親が言っていた。みんなちやほやするから、気位が高くなっているんだろうねと返答した。
小者なお前という、威圧感だった。
まあ勝手に思っておけと思った。そういう人は相手にしない。というか、根掘り葉掘りなのは暇なのか、私に関心があるのか。他人に干渉しすぎるほど、私は暇ではないぞ。
仕事とプライベートのことで精一杯だ。相互監視社会をスルーして、私は私の道を行く。マイペースにね。
どんな働き方をしたいか。
今日は病院のカウンセリングだった。
恋人ができて、心に余裕ができた、人に優しくなれて、精神は安定しているなど、話は盛り上がった。
自分の考えをまとめるために、話を聞いてもらっているところもあるのだけど、自分の働き方の考えがふとでてきた。
私は寛解しているけど、統合失調症患者。精神科医や心理カウンセラーからみると、私は自立の内に入るらしい。
大学から、いや高校から働くのがなんなのかわからなかった。癌になりながらも必死で働く母親をみて、幸せな人生ではないと感じた。
どこかで、そんなに働いてどうなるの?と疑問に感じるようになった。
良い大学に入って、良い会社に入る。そんな当たり前のレールに違和感を感じたのは、高校のとき。そんな疑問や違和感を蓋に閉じ込めて、受験勉強をしたけど、結果私の身体は拒否反応を示した。
身体が使い物にならなくなり、バリバリに生きられなくなった私の身体に絶望したけど、徐々に回復して、大学で視野が広がり生きやすくなり、地元に帰ってきた。大学でも、やっぱり働くことがわからなかった。精神疾患を抱えながらバリバリ働く自信がなかった。なので就活もせず、大不況なので泣く泣く大好きな京都を離れ地元でぼちぼち母親の仕事に着いた。
そして只の自律神経失調症が、悪化して統合失調症で、二年ぐらい棒に振った。
徐々にステップアップして、何とかやる気も出来てきた。やりたい仕事の使命感も浮き彫りになった。齢30歳にしてようやくだ。
使命感が見つかるまで、自分を騙しながら前へ進んでいた。「我慢料」と思って働いていた。しかし、ストレスを抱えながら働くのは、この病気には向いていない。
楽しみながら働きたい。
ポンっと出た言葉が、「仕事と遊びの境界が曖昧なところへ行きたいですね。」とふと出たのだ。
ワーカーホリックの女性社長に、もっと働くのが何なのか考えてたほうがいいと、説教を食らった。
かなり自分の欠点をはっきり言われたので、それが良い意味で、考えさられた。
バリバリに働きたいと思った時期もあった。しかし、欠陥のある身体。みんなフルタイムで働いてて、終電で帰り、朝また働く。
1日遅くまで働いてて、みんなこれを毎日満員電車に乗って働いているのか、凄いなと思った。
ワーカーホリックみたいにバリバリ働くキャリアウーマンにも憧れる。けどバリバリに働けない。
楽しみながら働きたい。仕事のような遊びのような境界が曖昧な仕事へ。
甘ちゃんと思われるかもしれないけど、我慢でもなく、ストレスフルでもなく、楽しみながら働きたいのだ。
そしたら、バリバリに働けるかもしれない。
そう精神病院の帰りに思った1日だった。
今日はメモ日記である。そんな1日。
気持ち悪い。
恋人ができた。今度はほのぼのとした恋愛になりそうだ。
告白されて、初めて告白されて付き合うことになった。今までの恋愛は、流れで付き合うケースばっかりだったから、告白なしで付き合っていた。
告白された直後、びっくりしたけど、嬉しくて、身体が火照ってOKをした。
遠距離恋愛になる。片道1時間半はかかるところに、彼は住んでいる。
さっきデートしてきたけど、ちょっと気持ち悪いと思っている。そんなことを思う私は薄情じゃないかとグーグルで、私みたいなこと思っている人いないかなと探してたら、
「気持ち悪いと思うのは、自分に自信が無い証拠。自信がないのに、女性として魅力的に見られるのを気持ち悪いと感じ、拒絶しているのだ。」みたいなことを書いていた。
私はまだ自分に自信がないのだなとすとんと腑に落ちた。今まで、他人に好意の目で見られると気持ち悪いと感じた。向こうから言い寄られて、流れで付き合ったことあったけど、余りにも今回の人は、ピュアで真っ直ぐ見てくる。それが恥ずかしい。
恋人握りもぎゅっと握りしめれない人だ。
そこが良さでもあり、可愛いところなのだけど。純朴な人なのだ。私みたいな汚れた女性でいいのだろうかと思う。軽薄な女だと自覚している。
そんな奥手な彼なので、セックスもまだだ。その行為に至る時に、私は愛せるだろうか。拒絶してしまわないだろうか。
まだまだはじまったばかりの恋。様子見である。
努力はしていこうと思う。少しずつ愛せるようにはなるだろう。多分。