掃き溜め
最近は、本当に日記の様になっていて、掃き溜めブログしかない。
吐くって感じで書いている。
読者の人には、申し訳ない。
もっと、記事みたいに、タメになるブログを書こうとするけど、最近は内に篭っているというか、内向的というか、自分と向き合うとも言えるかもしれない。
だから、日記みたいになっている。
ミクシィの頃は、日記を見ているようで楽しいと友達が言ってたので、赤裸々に綴るようにしている。
表現とは、服を着る好意ではなく、脱ぐ行為だと思うのだ。どんどん裸になっていく。
役者さんでも、役を着ている人と、脱いで素を出してる役者さんもいる。たとえば松田優作みたいな。
色々嫌な事があると、吐くようにここに書いている。
そうしたら、こんがらがった思考が解けていく。
昨日は、婚約破棄をしたら私に、婚活行きないと、カフェのオーナーに言われ、乗り気じゃないけど婚活パーティにいった。
連絡先交換で、私にくれた人は誰もいなかった。自分で言うのもなんだけど、個性派の私はそういう場ではモテない。普通のパーティで喋って、連絡先交換したほうが楽だと思った。
そして、今日は出張エステ。出張エステの場所を貸してくれるオーナーに、まだマッサージが未熟だから、勉強中って書いて発表していい?と言われた。今週レセプションで、私のマッサージも紹介してくれることになるそうだ。そしてチラシを作ってくれている。
まだ未熟だから勉強中と書く。店のイメージダウンにならないためだろう。でも、技術が向上したら、認めてくれるかな。
私は、居場所を作ろうとしている。仕事で信頼されるように。「一所懸命」だ。
「一所懸命」は、一つの場所を武士が命がけで守ったことから、生まれた言葉。
私はまだ、仕事面での信頼が低い。
ちゃんと自分の足で立ちたいのだ。
エネルギーになる言葉
成長していない自分を、今日思い知らされた。
あまりにも、元パートナーの言葉がもやもやするので、友達に相談したら、直接聞いてみたらいいと言ったので、ちょっとビクビクしつつもメールした。
統合失調症の私に自立ができるのだろうか?自立って何?
とメールすると、
親元に居ようが、居まいが、誰と一緒に居ようが、統合失調症でも、こうしたい、ああしたい、ってのがあるのに、やるかやらないか、って、もうこれは、伝えたことです。
だから、同じ事言っているから、意味ないと言っていた。
己の未熟さに、腹がたつ。
そして成長できてない自分にも腹がたつ。
私は、失敗が怖い。
だから、前に進むのを躊躇ってしまう、チキンな私。
そんな私だから振られたんだろう。
もう振り返らない。未練もくそもない。
厳しい優しさの言葉をもらい、前に進もうと思います。
幸か不幸か
幸か不幸かわからないけど、元パートナーに可哀想とレッテルを貼られてた私。
別れたあとは、もう夢ややりたいことを見つけた私のことを可哀想とは思ってないと言ってたけどね。
もやもやーっとする。
元パートナーの友達が、私のことを自分が1番不幸な顔している!なんなのよー!と指摘され、
でもその人は、シャブ中毒から抜け出した人なのだ。
17歳の時に子供を産んだ。テレクラで処女を捨て、運良く生き残った人。
さっきも、44歳の女友達と電話したけど、さっき聞いたら、実家暮らしだけど、両親死んだから、一人暮らしなのよねと言っていた。
私は、本当に世間知らずで綿に包まれながら育ったんだなあと、己の未熟さを思い知った。
私はまだ、恵まれてる。
大好きで、自分に言い聞かせている言葉。
「人は自分が思っているほど、幸でも不幸でもない。大事なのは生きることに飽きないことだそうだ。」
不登校の時、ガーンとこの言葉に救われた。
小さい頃、満天の星空を見るとき、なにか怖かった。
宇宙が広大過ぎて、宇宙にすっぽり自分が消えてしまいそうな感覚になっていた。
今は、何事も小さいもんだなーと思う。私も日本も地球も。
頑張らなくてもいいし、頑張ってもいい人生。
どんな人生でもいいよな。
でも真っ白な白紙の人生を、やっぱ生まれたのにもったいないから、色付けしたくなっちゃう。
今は、そういうスタンスで生きている。
大学の恩師は、人生は暇つぶしなんだから、働くしかないと言ってたけど、最近その働くことの中身が大分分かってきて、
こういう風に働きたいと思うようになってきた。
まあでも、働くことはお金を貰うってのが今の社会の仕組みだから、ボランティアやケアをしたい私は、それをどう商売にしようか、理想と現実を繋ぐことが課題であるけど。
私は、生きてやる!
可哀想って思われないぐらい、生きてやる!
精神障害者という、差別に負けない!
どろどろ
最近、どろどろした感情が込み上げてくる。
元パートナーに対してだ。
君を可哀想な子と思ってた。嘘ついていたと。
元パートナーには、幸せになってほしいと思う反面、心の支えでいてほしかった。
でもバツイチの彼は、よく前の奥さんの話をしていた。私のことを、前の奥さんの名前で言い間違えることもあった。
信用できなかった。
前の奥さんが結婚して、多重人格になったけど、そこまで追い込む彼はどうなんだろう?と引っかかりがあったからだ。
確実なものなんてない。恋愛なんて、形じゃないからもっと確実じゃない。
結婚して、一生別れないと思っているやつは馬鹿だよ。
大学で同じゼミの子が、結婚したときそういっていた。
私の1番のこじらせは、恋愛面で付き合うパートナーを信用するのが困難なこと。今まで付き合った人みんな、信用したことがなかった。
そして男性が怖い。
今の私は、女性性に自信がなくなって、何もかも自信が無くなっていること。
だから、心を保つために、仕事にも繋がるからだけど、メイクの学校へ通っている。
どんどん綺麗になろうと思う。
何か頑張らないと。
どうすればいいのかわからないけど、確実に分かるのは、
前に進むしかない。
只、それだけ。
孤独と向き合う
結婚や、恋人を持つことで、孤独を紛らわせていた。
結婚しても、子供ができても、そんなんじゃ孤独は消えないだろう。
誰もが、大なり小なり持っている「孤独」。
今は、クリスマス前だ。
この時期は、どうしても孤独を感じやすい。
ハチミツとクローバーで、確かこんなシーンがあった。
主人公が、クリスマスの飾りをみると、お前に居場所はあるか?と言われているような気がするというシーン。
そう、成功者でも孤独は感じる。まだ読んだことないけど、3月のライオンは、将棋で有名になっていくけど、有名になる者ならではの孤独を感じる主人公の話だそうだ。
暗いゴーストタウンの我が故郷の夜道を歩きながら銭湯へ行く。浴場では、地元のおばちゃん達が、たわいもないうわさ話やローカルネタを話している。
マイナンバーがどうたらこうたら。
あそこで火事あったみたいだねとか。
私は、輪に入らず傍観している。
そして帰りの夜道を歩く。
冬が迫ってくる。寒い夜空。
でも、空を見上げたら、綺麗な星達。
都会では、見えない小さな星が見える。
ネオンがないけど、星が照らしてくれる。
寂しい故郷を味わいながら孤独を噛み締めて生きるのも悪くはないなと思った。
人々は、寂しいからネオンを照らすのだ。
でも、田舎では夜空が照らしてくれる。
どちらが豊かか。
確かに言えるのは、クリスマスのイルミネーションよりも、満天の夜空の方が孤独を癒してくれるのだ。
孤独を噛み締める、秋。
喉に魚の小骨が刺さる
元パートナーに、偏見を持たれたのだろう。
統合失調症の私は、周りの理解や手助けが必要な立場。
彼が言った。
「自分で救うのは、自分しかいない。
だから自立が必要。」
最初会った時、私を病気と見抜いたそうだ。幻覚が見えてるように感じると。
付き合ってる時に、私のこといつから好きになったんですか?と聞いて、この子病気だ!と思ったと。
そして母親と私が一緒にいるのをみて、母親に支配されていると。
別れ話切り出された時、君を可哀想な子と思ってた。嘘ついてたと、カミングアウトされた。
別れたあと、メールのやり取りをしたら、
今初めて罪悪感を感じず、可哀想とも思わず、言葉を伝えられている。愛してるよ。恐れないで、人生にチャレンジしてください。
と、返事が来た。
今まで罪悪感を感じながら、愛してると言ってたの?と引っかかった。
でも、今まで付き合った人は、みんな愛してるよと言っていた。
誕生日に手編みの難しい網目の帽子を編んでくれたから、その愛は偽りではないのだろう。
今まで別れる時に、何かしら元恋人達から、疑問というか、引っかかりをくれる。
喉に魚の小骨が刺さった感じ。それを上手いこと徐々に消化して、元恋人と別れた後に成長していると、主観では思う。
喉に魚の小骨が刺さったという表現は、大学の一回生の時の授業に出てきた言葉だ。
生きているときに、みんな疑問が浮かび上がる。それが喉に魚の小骨が刺さったように、気持ち悪い感じ。何か気になる。引っかかる。それを唾液で少しずつ消化するように、疑問も解いていく。
大学は、魚の小骨が喉に刺さることばかりを勉強する。そして卒業して、社会に出て徐々に疑問を消化していく。
私の場合は、消化しつつも、また喉に小骨が刺さる。
恋愛は、その人と凄く向き合うことだ。そしてすれ違い別れる。何か疑問を抱き、それを消化したときに、また恋人に出会う。
恋愛で成長するタイプなのだろう。
今は、色々本を読んで、勉強して、こうやって文章に書き、消化しつつ、考えている時。
また、誰かに出会えるのだろう。また成長するために。
でも結婚って、どうなんだろう?
私の想像では、一緒にいて、お互い助け合いながら、2人で上がっていくイメージ。
今度は、誰に出会うんだろう?
私達はもう友達。追記
書き直します。
別れてから一時期、元彼が凄く夢に出てきてて、それがぴたりと止まって吹っ切れていて、元気だったんだけど、
共通のデリカシーのない知人に、嬉しそうに元パートナーと別れたんですね、とニヤニヤしながら聞いてきた。元パートナー、元気なかったですよ、暗かったですよと聞いて、気がかりだったのだ。
別の人も、暗かったと聞いて、益々気がかりになった。
そうしたら、また夢にいっぱい元パートナーが出てきて、手紙を書いた。
実際、冷静に話し合ったとき、草臥れた顔をしてたので、気がかりだったのだ。
手紙には、親も他人だから、親の業を子供の自分が背負うことはない。生きて下さいと書いた。
でも昨日、イベントで出会って、痩せてて明るくなっていた。自然体になった。
私も別れてから自然体になったと言われた。
別れて正解だと思った。
友達として、挨拶できたからもうよかった。私達はもう友達。
お互いのために別れたもんね。
さよならから始まることが沢山あるんだよ。
私も、彼に負けじと前を進まなきゃ。