胸の鏡よ 心濁すな

日記のように綴るブログ

虚無。

最近、虚無感に包まれている。去年あたりから暇を楽しめなくなってきた。空虚とも言えるかもしれない。

 

多分大きなミッションが控えているから、ちょっとの空き時間があると不安になるのだ。そのミッションというのは、寶船のコーディネート。

 

それぐらい大事なミッションと思ってるんだろう。送りバントをせず、寶船さんをおもてなしするため。

 

でも彼らはどんどん忙しくなっていて、中々捕まえることができない。

 

私の地元での貢献って今のところ寶船さんをアテンドするぐらいしかないから、余計に力んでる。

化粧療法もするけど、もっとビジネスプランを練らないといけない。

 

化粧療法で営業なり、お金を取ってはいけないことになって、それで事業しようとしてる私には寝耳に水だった。前と言ってることが変わったから。

 

やることがたくさんある。去年より大きな山なので、ちょっと空虚なのかもしれない。

 

生きるのはめんどくさいけど、まだ生きるのをやめたくないのだろう。

 

やっていきますよ。

 

やっていきましょう。

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友達付き合い。縁を考える一日。

バタバタとしていて、いつのまにか二カ月放置していた。

仕事がタイトで、盲腸になり今安静にしている。

初期なので、抗生物質で散らすことかできたみたいで、今痛みは全くない。

 

上手いこといったら、来年の秋に京都で結婚式を挙げるかもしれない。

なので、大学時代の妹的存在の子にメール送ったら、アドレスを変えていた。ショートメールで送信した。電話番号を変えてなければいいが。

その子は大学の友達と縁を切ろうとしているので、頻繁に連絡を取っていた。しかし、仕事とプライベートでドタバタで、半年連絡を取ってなかった。その子はSNSをしない子。だからちょこちょこ連絡を取っていた。

10月から連絡取ってなかったから、その時はビジネスコンペのプレゼン資料作成してドタバタしていた。今週に入り、やっとひと段落終わっていたのだ。

 

友達と知り合いの区別がよくわからない。友達多いと言われるが、面識がある人が多いのが現実だ。友達と言っていいのかな?と思ってしまう。

大学のサークルの友達は、広く深く信頼関係を作っていた。サークル外の友達も、凄く良い関係を作ってるねと言われるぐらい、凄い青春を全うした。

社会に出て、深い付き合いの時もあったけど、地元のコミュニティがギクシャクしてきて、今の地元のコミュニティは広く浅くである。悲しい。

友達付き合いを断捨離はしたくない。しかし繋がりすぎて身動き取れなくなって整理しようかと思ったが、縁を大切にせなあかんなーと最近思うようになった。

 

友達をモノみたいに捨てたり整理したりもしたくない。ただ、地元で友達を選ばすいっぱい繋がってしまったのが失敗だったと思う。Facebookで安易に繋がれる時代だし。

 

今のスタンスは、付き合いたい人と付き合う。シンプルにそう思う今。

 

結婚式はみんな来てくれるだろうか。SNSで頻繁に会わなくても繋がってる感があってそれが良い面もあり、悪い面もある。

 

大学のみんなに会いたいな。

ご縁を考える一日。

地元。

今日は、自分をまとめるための日記。

 

寶船が、今年いけだ阿波おどり参加できるかグレーゾーンらしい。他の徳島の自治体から呼ばれているらしい。

 

私は個人で呼んだけど、向こうは観光協会だ。どんどんビッグになっているから、良いことだけど寂しい。

 

nuitoの時もそうだ。まだ平井君が歌ってた時によく遊んでたけど、どんどんビッグになって、会社も大きくなっていって、誇らしい反面どこか寂しい。彼はphaさんとつるんで色々している。

 

学生の時は同じ地点にいたのに、みんなそれぞれの道を歩んでいく。ライフステージが変わると、話しが合わないことがある。地元の友達なんてもっとだ。私は真っ当な道から外れた大学へ入学したのだから。リベラルな大学だった。当たり前をどんどん打ち砕く大学だった。

 

大学の友達はまだ付き合いやすい。そして地元に帰って移住者やUターン組のコミュニティに属しているけど、そのコミュニティで知り合った人と付き合い、婚約破棄になった時、みんなよそよそしくなった。どこか冷たくなった。

 

ああ、そうだ。地元ってこんなとこだから、逃げるように地元から離れ、京都の大学へ進学したんだった。

 

何かしら監視しあっている田舎の地元。プライベートは無い。仕事じゃなくても、ボランティアで働かされ、あいつはできるやつできないやつと監視されている。いわゆるムラ社会

 

なので、寶船を呼んだのも、あいつは何も出来ないというレッテルを剥がしたかったんだ。寶船さん呼んで来た地元の有力者も、損得勘定で寄ってきて手のひら返しをした。そしてその手柄を取ろうとしている感じもした。

 

寶船さん来なかったら、使えないやつとまたレッテルを貼られる。そんなドライな田舎というのを忘れていた。

 

実際地域振興のNPOで、あなたも正会員だから地域振興頑張ってよと、言われたのが引っかかっている。お金を払って仕事しろなんて、ギブアンドギブじゃないか。だからNPOはボランティア会員にした。お金払わなくてすむボランティア会員にした。

 

何かしら利害関係のある、プライベートの無い田舎社会。こんなんじゃ、そりゃ地元から離れていく人いるよなと思った。使える移住者はウェルカムで、使えない移住者は出てけってスタンス。

 

何となく地元の思い入れも無くなってきてしまった。高松へ嫁に行って、地元捨てようかなとも思っている今。

 

ある友達は、私のツイッターをみて地元で摩擦が起こっていると言ってたけど、そうかもしれない。

 

程よい距離感を持って接したら大丈夫かな?

 

地元のためにやろうとした事業も、やる気失ってきている。

 

しばらく私のこの気持ちを寝かせておいて、やるべきことをやっていこう。

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足るを知る。

目の前のことをやるだけ。今はそれしかないとクリアに思う。

 

女性起業家のコンペの一次審査が通ってしまった。今週末の土曜日は、パワーポイントを使ってプレゼンをする。人前で話すので、明日から何回も喋る練習をする。

 

私は今、とある銀行の起業セミナーに通ってるんだけど、コンペの一次審査のエントリーシートを銀行の営業マンが見たらしく、母親と私と話をしたいと言ってきた。補足すると、母親も前年度の銀行の起業家セミナーに通ってた。私も右も左も細かいことがわからないので、参加してみた。

 

私の新規事業を、母親は勝手にやってと言ってたのだけど、儲かるかもと乗ってきた。乗ってきて、色々干渉してきた。

 

父親は事業を失敗していて、今通っている銀行をポシャってる。なので母親が代表だと倒産した父親が保証人になるので、無理だと。なので私が代表になって、母親と二人三脚でやるのならお金を貸すよと。

 

ちなみに新規事業は資本金は殆どいらない。只、実家がボロボロなので、新しい家を建て直したいという母親の願望で、私に住宅ローンを背負わされそうになる。母親が五年で1500万、色々入れて2000万を銀行から借りるが、私の名義だ。お金は母親が五年で返済するというが、多分無理だろう。時間がかかりそうだ。

 

私は欲があまりない。マイホームもどうでもいいし、高い服も欲しいと思わない。どちらかというと、良いやつを安く買う掘り出し物を見つけて買うのが好きだ。今はファストファッションがいっぱいあるし。

 

なので、見栄で豪華な家を買って、一階は事務所件サロン、二階は住居がいいけれど、65歳にもなって何をそんなに夢を求めるんだろう。現実を見たらいいと思う。足るを知るということを知らないのだろうか。

 

昨日もカナダ産の1500万の住宅を見に行った。確かに素敵だけど、数年経てば住む人によって家は汚くなるだろう。母親は、私と一緒でだらしない女なので。

確かに家は崩壊しかけだし、美容の仕事だから綺麗なサロン持った方が良い。化粧品を売る仕事だから。

 

私は高松と地元の二拠点住まいになりそうだし、そんなに持ち家が欲しいのかがわからない。私が嫁に行ったら、両親二人が死んだら空き家になるしもったいないなー。

 

マンション買って小さな事務所件サロンだけ作るのはダメなのだろうか。

 

母親は欲深い。私は儲かっているというのを、地元でアピールしたいとそんなことを言ってたが、その思考は愚かだ。

 

足るを知る。大事なことです。

 

見栄で借金するのは愚かということを気づいてほしい。

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入院して。

前の日記を書いたあと、脳疲労のせいか頭がごちゃごちゃになり、病院に行って倒れてしまった。そして即入院。精神病院である。

 

一晩ぐっすり寝たら、頭もスッキリして3日で退院できた。

 

担当医も、私は診ている患者さんの中で病気と上手く付き合ってる上位の患者になるそうなので、入院したと聞いたら、担当医が凄く驚いていた。

 

休養ということで入院した。

 

最初は「変な人」が多いので、ちょっと居心地が悪かったのだけど、みんな只人間臭いだけなんだなと思った。思考回路がちょっと変なだけで、ちゃんとした人間だということ。

最後の方は危ないとは感じなくなっていった。

 

今やろうとしている化粧療法だけど、重症の方には難しいかもだけど、私が入院していた軽度の病棟の方なら、コミュニケーションも取れるしなんとかなるかもと思った。

 

薬ばかりに頼るより、何か複数のものに依存して症状を軽くさせるのが、私のやり方。

とにかく統合失調症は、ぼーっとしている時でも色々考えてしまうので、如何に何も考えない時間を作るのが大事か。私は温泉でぼーっとすること。コーヒーでリラックスすること。週一のお酒でぐっすり寝ること。頭がごちゃごちゃになったら、こうして文章にしてまとめること。外に出るのは億劫だけど、おしゃれして自信をつけて(武装して?)外に出ること。そうして社会に馴染んでいる。多分だけど馴染めている。

 

今回の入院は、仕事が重なり過労で倒れてしまったけど、辛くなったらいつでも入院してもいいよとの看護士さんの言葉が嬉しかった。

 

無理して健常者のふりをして健常者と同じように働いているけど、入院したら同じ精神疾患の人が沢山いて、心地良かった。

 

ああ、私は無理して社会に適応しようとしているけど、自分が精神疾患というのを忘れていた。私は精神疾患なのだなと自覚する入院だった。そして私は軽度だと言うこと。他の患者さんも、どこが悪いの?と疑問を持つぐらい健康だと言うこと。

 

今回の件は、病気を忘れて、自分を過信して無理をしすぎたから入院してしまった。

 

今は踏ん張り時で、仕事をシンプルにするために色々考えなきゃいけない時期だけど、省エネで身体を操縦しようと思う。事業計画書を書こうとしているけど、そんなに気負わなくていいということ。

 

秋冬はそんなにアクティブになれないので、気負わず、とりあえず仕事をこなしていく。

 

皆さんも体調に気をつけて。

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結婚が怖い

シンプルに思う。結婚が怖い。

 

なぜかというと、それは私のトラウマ。高校の時家庭崩壊になり、家族内いじめにあい、家庭を持つことに対してプラスのイメージが思い浮かばない。

 

家族って嫌だなーと、今もどこかでちょっと思っている。

 

子供は可愛いけど、また子供と一緒に幼少期から社会人になるまで、体感しないといけない。

 

学校が嫌いだった。いじめられたり、先生にも冷たくされて精神を病んだ。不登校になると、家族にもいじめられた。

 

地元で今も心開けないのは、そういうトラウマがあるからだ。

 

ママ友もめんどくさいんだろうなあと思う。

子供と一緒に、成人するまでもう一度体感するのは楽しいという人もいる。

 

私は嫌だ。大人になってやっと自由になれたのに。学生時代は散々だった。

 

実の母親にも、子育てが悪いと色々干渉されるのだろうなと、想像するだけでナイーブになる。

 

今の心情としては、「消えたい」という言葉が浮かぶ

 

病気持ちだし、それもナイーブになる原因。

 

まあ先を見ると、しんどくなるイメージは尽きないので、「案ずるより産むが易し」なのかな?

 

仕事も先を見ると山積みでナイーブになるから、1つずつ目の前のことを片付けていくことを覚えた。

 

多分、結婚してもそうだろう。多分人生がそんな感じなのだ。

 

人生は大いなる暇つぶしなのだ。

 

暇つぶしに結婚するのもアリかもしれない。家庭を持つのもアリかもしれない。子育てするのもアリかもしれない。

 

先を見ず、今に集中する。

 

自己完結できたので、ブログはおしまい。

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阿波踊りに対する初期衝動。

今年のお盆は、阿波踊りの本来の楽しさを取り戻すお盆だった。

 

いけだ阿波おどりで、連を法人化したプロの阿波踊り集団寶船を呼んでコーディネートをした。

 

数年前、阿波踊りを仕事と思って踊ってくれと言われ、阿波踊りの純粋な初期衝動を忘れてしまいそうで、心の中がぐちゃぐちゃして、阿波踊りが踊れなくなった。

 

ドクターストップ。遊び半分ならいいよと担当医に言われた。

 

覚えてはいないが、記憶にないぐらい小さい時に、夏にぞめきが聞こえるとピュンっといなくなって阿波踊りの連の近くに行き、踊っていたらしい。ぞめき囃子が聞こえると、心がウキウキして、身体が踊り出す。

 

その大事な初期衝動を忘れそうになったのだ。

 

楽しんで踊りたい。

 

娯茶平の前の連長だった、阿波踊りの名手四宮生重郎さんの踊りが大好きなのだが、娯茶平を辞めた理由も娯茶平がビジネスライク、金儲けの方に走っていったから辞めたそうだ。

 

四宮生重郎さんは、心から楽しんで踊っている。そういう踊り手さんと近いものを感じたのが寶船だった。

 

仕事と思って踊るのなら、プロになればいいのに。実際に連を法人化した寶船さんの存在を知っているから、当時は余計モヤモヤした。

 

寶船と一緒になって踊って分かったのも、楽しんで踊っているけど、本当にプロだということ。楽しみながらプロ意識を持って踊っていた。実際舞台の演出を決めるのも、たった5分ぐらいで決めて、失敗せず大成功を収めていた。かなりの練習量と、ステージ慣れをしているのだと分かった。普通なら、一ヶ月前から何回も舞台の練習を重ねているのに。ライブ感のある演出だった。

 

脱線するけど、『この世界の片隅に』で戦中が身近になったのだけど、徳島市内へ行った時、この熱狂は戦争が終わり、阿波踊りが解禁され戦争から“解放”された踊りなのだなと、ふと思った。歪みながらも耐えた戦争が終わり、“解放”された踊り。終戦(敗戦)からの解放された熱狂が現代と地続きな気がした。

 

綺麗に綺麗に踊るのが阿波踊りじゃない。“解放”の踊り。

 

だからこそ寶船には、阿波踊りの初期衝動を感じる。

 

再来年の瀬戸芸には、寶船をアート作品として出展するように動いている。過去に切腹ピストルズもアートとして出展しているから、不可能ではない。

 

阿波踊りの初期衝動を取り戻した今年のお盆。

 

また来年も、いけだ阿波おどりの寶船のコーディネートをして頑張る。

 

阿波踊りは、“解放”の踊りなのだ。