「そっか。私、笑えるんだ。」
年末30〜31日と大阪で大学の友達と忘年会をした。全然気を使わない関係。久しぶりに腹の底から笑った。
関西人は、コミュニケーション能力が高い。ボケツッコミが凄い。
本当は頭のネジが外れまくっている自分を押し込めて、普通を装っていた。普通の人のフリをするのは辛い。
自分をギューっと押し殺していた感じだ。地元でも自分をオープンにすればいいのだけど、田舎は完全なプライベートがない。何かしら酒を一緒に飲んでも利害関係が多少ある。
「そっか。私笑えるんだ。」
思わずエヴァのアスカの名言が口からでた。みんな笑ってたけど。色々あったんだねーと察してくれた。深くズケズケとプライバシーに入り込まないみんなが好きだ。
年に数回しか会えないけど、余り使わない言葉だけど、こういう関係性を「仲間」と呼ぶのだろう。そういう人達を大切にしていきたい。
この地球に一ヶ所でも居場所があれば生きていける。それを感じた忘年会だった。
なんだか前向きになって、心の底から仕事頑張ろうと思う。やる気がちょっと湧き出している。
みんなありがとうね。みんながいるから生きられる。
自己啓発やスピリチュアルはもういい!
かなり疲れている。
先日、とある下着のネットワークビジネスの研修に行った。
私がビジネスのことを学びたいといったら、ビジネスのことを学べるよと、胡散臭く感じて警戒しながらいった。
人材育成という名の自己啓発と、とある下着メーカーが如何にすごいかという研修だった。
誘われたのは、母親の販社の傘下さん。リンパ整体とダウジングなどのスピリチュアル(レイキもしてたな)をしている人だ。
その人の周りの信者みたいなコミュニティは、本当に脳内お花畑だ。
それに嫌気をさし、凄く疲れて2日寝込んだ。
「光」を送ったり、念じたりしてるみたいで、カルトみたいで気持ち悪かった。そのコミュニティの神様もいるみたいで、それが見えるとか言ってた人もいた。
自己啓発本やマニュアル本、スピリチュアル本を読んでいる人をあまり信用はできない。
自分の位をあげると悪口も言われなくなるとか言ったけど、別にダメ人間でもいいじゃないか。
人をランク付けするのは、なんだか腹ただしい。
人を格付けするのはあまり好きじゃない。人間は広い意味で平等だと思っているからだ。実際平等ではないけれど、人間をランク付する闇の深さに、気分が悪くなる。
私は、人間臭い人が大好きだ。アングラにいくと、もっとめんどくさい人がいる。だから京都にいた時は、よく京大の吉田寮にいた。
調整豆乳より無調整豆乳が美味しいように、調整された人間より、無調整な人間のほうが好き。「変態」な人間が大好きだ。タモリさんみたいな人。
体育会系や自衛隊より、クリエイティブな人に多いぶっ飛んだ人が大好きだ。
この思いは、母校の大学が変態だらけだったからかもしれない。芸大出身の人は気分が落ち着く。
ダメ人間でもいいじゃないか。自分を変えるなんて、なかなか無理だ。表層的なものは変わるけど、その人の本質は小さい頃から変わらない。色んな人を見てきて思うことだ。
ダメはダメでいいじゃないか。みんな自己啓発などに疲れて「Let it go」に癒されたのではないか?
ありのままの姿みせるのよ。
見せられないから、みんな息苦しいのね。
もう、生きたいように生きさせておくれ。
綺麗事だけで、生きのびれる単純な世の中じゃねえぞ。
過呼吸と死。
私はよく頑張りすぎる。走り続けてしまって、温泉の浴場で倒れ、担架で運ばれた。
色々な人が助けてくれたけど、救急車では運ばれなかった。行き先は精神病院だからだ。
母親と口論になり、今まで自分の力で自立するために、必死になって自分で仕事を作ってきたけど、「糸が切れた」感じがして、どてっと倒れた。
もうこのまま、夢を見ず母親の「行軍」として自我を殺して生きるしかないのかと思ったら、絶望し、息ができなくなった。
緊急病棟で対応してくれた先生には、「糸が切れた」というよりも、「息が切れた」と言われた。
休みたいけど、休めない。そんな状態が一年以上続いたら、無理やり自分自身を保っている一本の糸が「切れた」感じがして、辛かった。
倒れた週末には、イベントの仕事があったのに、過呼吸になってしまって、担当医から三日間安静にして、家から出ないことと言われた。
イベントの仕事は休むことにした。今は後悔がある。仕方のないことだけど。2日前にキャンセルは入れた。ドタキャンではないが。
理想と現実。現実を突きつけられ、やりたいことをむしり取られた気がした。
母親は憎くはないけど、私と母親の関係はアンバランス。お互い理解しているようで理解してないような。
今日は父親の従兄弟の奥さんが、急死した。仕事で疲れてお風呂で溺死。
生きると死ぬとではどっちが楽なんだろう。私の命をあげるから、急死しないで欲しかった。不謹慎にも、亡くなった親戚が羨ましかった。
生きながら、必死に息をする過呼吸の私と、お風呂で溺れて息を引き取った親戚。
なんだか皮肉にも感じた。
私は死ぬのを恐れていない。それは私がまだまだ死なないのを感じ取っているからだろう。
実際死が近づいてくると、色んな準備をし始めるだろう。
ただ私は生きるのに疲れているだけ。
この過呼吸の症状もいつか治ることを祈りながら、不安を押し込みながら寝る。
おやすみなさい。
憧れの人、雨宮まみさん
雨宮まみさんが、死んだ。
まだ混乱している。
目標だった人が、早死したからだ。40歳。独身。
「事故」で死んだと発表していたが、自宅で「事故」とはどういうことだろう?自殺?など色々憶測が飛び交っている。
「40歳がくる!」で、酔いすぎであざだらけで帰ることもあったので、酔いすぎだろうか。ネットでは、大量に薬飲んでも事故になるからねという書き込みもあった。
「女子をこじらせて」を読んで、好きなことを仕事にして、凄く楽しい!嬉しい!と書いてあったので、まだまだ今の仕事の状況に満足していない私は、「いつか雨宮まみさんみたいになれたらなあ。。」と思っていた。
今月初めにも、H&MのKENZOのコラボの服を着てインスタにアップして、華やかな雨宮まみさんをみて、私もいつかバリバリに働いて、素敵な服を身にまといたいと思っていた。自分の稼いだ金で、高い洋服を買って。。。
そう、東京で働くバリバリのキャリアウーマンが私にとって雨宮まみさんだった。私のイメージそのものだった。
インスタを見ても、東京でしか着れないようなファッションを身にまとっている。THE東京というファッション。そして華やかな仕事。
でも「40歳がくる!」で、一番最新の投稿に、命を削りながら書いていると書いていて、そのせいなのかなと思った。記事の終わりが、華やかな流れだったので印象に残っている。
クリエイティブな仕事、特に有名な人は命を削りながら作っている。私の好きな安野モヨコ、庵野秀明夫妻も。私の身近な友人もそうだ。その友人は年商10億の社長で、個人資産5億。副業のバンドも売れて、その分命を削り、パニック障害と躁鬱病を患っている。
憧れの女性が死んだことは、なんだかどの道行ったらいいんだろうと動揺している。目標を失ったみたいで。
私は今どう働きたいか、もっと深く言うと「どう生きたいか」と自問自答するきっかけになった。一度お会いしたことのあるphaさんや、伊藤洋志さんみたいに、既存の道から外れてたくましく生きている人。
もしくは華やかな世界で活躍している雨宮まみさんだった。ワーカホリックな人。
二つとも共通するのは、たくましい人だ。
私はワーカホリックな、雨宮まみさんの様に生きたいと思った。でもこの早すぎる死で、働くってなんだろう?生きるってなんだろう?と思ってしまった。価値観がグラグラしている。
phaさんのように、世界はもっと豊かなはずを、日々忘れたくないと思ってたけど、その思いが強くなった。かといって毎日ゴロゴロはできないのだけど。程よく忙しいけど、心の余裕はある人。
本当に憧れの女性でした。「穴の底でお待ちしています」も好きな連載だった。こんな重い愚痴を優しく包み込むように指摘したり、励ましたりする。普通なら、みんなボロクソに批判する相談内容を、優しく癒す雨宮まみさんが大好きだった。
これからどう生きていけばいいんだろう?心の拠り所だった雨宮まみさんの新しい文章がもう読めない。そっと寄り添ってくれる人がいない。
雨宮まみさんは、天国に行かれたのだろうか?向こうの世界があるかどうかはわからないけど、向こうで優しく見守ってほしい。これは一ファンのエゴの気持ちですが。
雨宮まみさん、ありがとうございました。あなたのいない人生は不安ですが、一女性として、生きてゆきたいと思います。でも、早死はしません。命を削るほどのストイックな仕事をすると、あなたのように早死するかもしれませんが、私はあなた以上に生きていこうと思います。
こんな夢をみた
予知夢と言えばいいのか、正夢と言えばいいのかわからないくらい、曖昧な夢をみた。
1ヶ月前ぐらいかな?
元婚約者がホームレスになり、道で目が虚無状態でぼーっと座っているところを私が家に持って帰り、汚れた身体を洗う夢をみた。
そして昨日フェイスブックを開けたら、元婚約者がゲストハウスを辞めてホームがレスになり、友達の家に転がり込んだらしい。
「ワタクシの不徳により」と書いてたけど、何かあったんだろう。それは何となく彼がゲストハウスプロジェクトに参加して、厳しい道に行くから、予感はしていた。こうなるんじゃないかと。
だから、霊的なものでもなく、勘は鋭いほうなので、予感が夢になり、それが正夢になった。
急遽辞めたので、何かあったんだろう。
彼はこれから予定がないので、放浪の旅に出る。旅に出てこれから色々決めるみたい。
私の地元にも顔を出すようだ。会う約束をした。
波瀾万丈な彼だけど、まあそれも彼らしい生き方だ。
彼が幸せになりますように。
秋は嫌い。
美容やファッションの季節。読書の季節。芸術の季節。
でも成人してから、秋は嫌いになった。
センチメンタルになる、感傷的になるこの季節は、心がヒリヒリする。
阿波踊りが好きなせいも関連する。
お盆で盛り上がって、お盆を過ぎると秋がくる。
あんなに楽しかった夏が終わる。
祭りの後の哀しさを、より秋が酷くする。
大学三年生の時、学祭で阿波踊りが終わった瞬間に泣き出してしまったことがある。
みんなで楽しんだ阿波踊り。今年の祭りが終わるんだと泣いてしまった。
男友達が抱きしめてくれたけど。
真冬の方が好きかもしれない。真冬の星座が好きで、空気が澄んだ夜空が好きだから。
寂しくて、恋したいなあと思うけど、恋に臆病になっている半面、元婚約者と比べてしまってときめかない。
今日も元婚約者が夢に出てきてしまった。
元気にしてるだろうか。
幸せを願っているけど、全く未練がないと言ったら嘘になる。もう次に進みなよと、私の中の男が、女々しい女の私に説教する。
全て気持ちがぐちゃぐちゃになるのは秋のせいだ。
人と会わず、コーヒーを飲んで読書する。
孤独を噛み締める、秋。