社会通念に負けない
先週土日は、母の実家である法事で半年ぶりに関西に帰ってきた。
土曜日はフリーの日。夕方2時間ほど、尼崎のえびす神社の神主さんに手相を見てもらった。無料で見てくれるのだ。
その神主さんは元スチュワーデスで、立命館出身だし頭が良い。
手相を見てもらったら、
凄い苦労している!休んでもいいのよ!
と言われた。
でも出張エステも始まってるし、メイクの学校も始まっているし、動き出していて休めないのです
と言ったら、
動きながら捨てていくしかないわね
と言われた。
何かしなきゃと思わなくてもいいとも言われた。
人間関係に揉まれているのかもとも言われた。
たわいもない話で盛り上がる。こんな時間が欲しかったのだ。凄い笑ってデトックスができた。
大島渚や昔の映画の話で盛り上がった。田舎に行くとこんな話はできない。でも恩師も都会でも君みたいに話できる人少ないよと言われた。
恩師に、大学は似た者が集まるから中高よりは広い社会だけど、社会にでるともっと色んな人がいますねと言った。
本当に色んな人がいる。私はなるべく色んな人と会うようにしている。箱庭みたいな故郷だから、なおさら風通しをよくするために。
でも変な人もいる。やらしい人もいる。
友達選びは大事だけど、密な田舎のコミュニティだと顔を合わさなきゃいけないこともある。
でも苦手な人とはもう会わなくていいかなと思っている。
それが神主さんに言われた、「捨てること」だ。
異業種交流みたいな名刺交換代わりのフェイスブック申請も、もういいかなとも思っている。ギラギラしている。まあどちらでもいいんだけど。
元パートナーが別れ際にくれた、スーパーバタードックの「さよならカラー」を久しぶりに聞いたら、確かに始まっているなと思った。
夢というと儚い感じがしてあまり好きな表現じゃないんだけど、やりたいことはありますと言ったら、その神主さんはフェリシモのなにかの付録にエッセイを書いたらしく、それをくれた。夢を叶えるブックだ。
やりたいことをイメージするために、ここに行きたい、こうなりたいをファイリングして、寝る前にみて、イメージ(夢)を現実化するものだ。
ちなみに大学の恩師は視野は別れた直後よりかは、視野は狭くはなってない、ましになったと言ってくれた。
ちなみにタイトルは、正社員になる、起業するなど、そういう社会通念に負けないようにと、神主さんに言われて心に残った言葉。
休むと罪悪感があるから、何かしなきゃと出張エステを無理やり始めた。
でも、私は私、人は人という言葉を刻みたいと思う。
坂口恭平さんみたいに、社会通念に負けない、捉われないようにしたい。
彼の本を読むと固定概念が良い意味で崩れる。
彼の本に大分救われている。
phaさんもそうだ。
レールから外れた人だけど、ちゃんと自分の軸を持っている人。
そんな人から影響受けたいと思う。
地元の古い観念、固い社会通念など捨ててしまえ。
私は私の道を生きる。