三十路
三十路になった。
3年前は、あと3年で30になるー!焦るー!
と、少しパニックになっていた。
社会人としてもまだまだだし、こんな未熟なまま、三十路になったらヤバいという、変な危機感に襲われていた。
同世代と比べてまだまだだと思ってたからだろう。
今思えば馬鹿である。
人生は競争でもリレーでもないのに。
それを感じた30回目の誕生日だった。
年を重ねるって悪いことではないなぁとは、前々から感じていたことだけど、重ねれば重ねるほど、その思いは強くなる。
三十路という節目に、益々深く感じたのである。
体力の衰えも感じる。十代の頃に比べて、感覚や運動神経が鈍くなったのを去年の夏に感じた。
でも、精神的には、年を重ねるほど、本当の意味で“豊か”になってるのを感じるのである。
高校生の頃は、どん底だった。同調圧力の強い箱庭みたいな、山に囲まれた田舎。
高校は、バイトが禁じられ、家と学校を狭い町中で往復する毎日だった。
学校も閉鎖的。家庭も閉鎖的。そして故郷も閉鎖的だった。
お金もなく、閉じ込められた社会で、私は精神を病んだ。
逃げるように、京都精華大という変わった大学に進学して、私はモデルに沿った人生から、意識的に“逸脱”した。
そこから視野が広がり、生きるのが楽になった。
ちょっと体調を崩していた私は、大学卒業しても、フリーターでゆっくり京都にいて、身体を癒そうとしたけど、母親に無理矢理卒業と同時に、故郷に連れて返された。
そして、統合失調症になった。
何もない、ゴーストタウンみたいな我が故郷。ここから、また一人ぼっちかと、夜の町を歩いていた。
そして数年が経ち、東日本大震災。そこから私の町が、少しずつ面白くなってきた。
大震災をきっかけに、こっちに移住してきた、地域おこし協力隊の人が、少しずつコミュニティーを作っていった。
地方に注目している流れはあったけど、大震災でそれに拍車がかかった。
その横のつながりが強いコミュニティーはどんどん膨らんでいき、そして去年の3月に、横浜からIターンした今のパートナーと出会った。今年の秋には、私の旦那になる。
全国的にも、地方で面白いことをしている人は、都会からの移住者らしい。私の故郷でライブした全国を周るギタリストの方が、おっしゃってた。
そして大好きな人と30回目の誕生日を迎えて、震災で生まれたものは、負の部分だけではないんだなーと思った。
私も傷ついている。津波の映像を見るたびに、無力な自分が嫌になる。
直ぐ分かったけど、じゃあどうすれば?という自問自答が今でもある。
選挙に行けば、デモをすれば、寄付をすれば。。。
でも頭の片隅に、それだけではダメな気がする。。。
そう感じる自分がいる。
まだまだ答えはでない。でも私はそのうち子供を産むだろう。
そうしたら、その子供は幸せに暮らせるだろうか?
パートナーは言った。社会情勢にも左右されるから、安倍晋三をどうにかしないと。
私のひ孫ぐらいには、借金だらけの日本は、日本国は無くなっているかもしれない。そう述べる人もいる。
世界人口70億人。食料と水を争って、戦争が起きると、環境社会学の教授は述べていた。
なので、田舎という、畑や食料がある、セーフティネットのある地域に注目してる人もいる。
いざという時に、農家の人のそばが安全だ。
頭のキレる、東京からのIターンの人がそう述べていた。
まだまだ私の地元は、時代遅れだ。選挙も地域によってこの人に入れるというのが、当たり前だ。30年は遅れているととある新聞記者は言っていた。
政治が娯楽になってる!と指摘している人もいる。
それが嫌で、地元から離れた同級生もいるし、とある移住者も地元に逃げた。
でも、少しずつ、色々あるけど、何かプラスの方向に進んでいる。それは感じる。
閉鎖的な街を、外を知っている移住者が交わることで、何か価値観を変えてほしい。
私はそれを、微力ながら応援出来たらと思う。
移住者のパートナーと、2人でこの我が故郷を見守ろうと思う。