胸の鏡よ 心濁すな

日記のように綴るブログ

阿波踊りに対する初期衝動。

今年のお盆は、阿波踊りの本来の楽しさを取り戻すお盆だった。

 

いけだ阿波おどりで、連を法人化したプロの阿波踊り集団寶船を呼んでコーディネートをした。

 

数年前、阿波踊りを仕事と思って踊ってくれと言われ、阿波踊りの純粋な初期衝動を忘れてしまいそうで、心の中がぐちゃぐちゃして、阿波踊りが踊れなくなった。

 

ドクターストップ。遊び半分ならいいよと担当医に言われた。

 

覚えてはいないが、記憶にないぐらい小さい時に、夏にぞめきが聞こえるとピュンっといなくなって阿波踊りの連の近くに行き、踊っていたらしい。ぞめき囃子が聞こえると、心がウキウキして、身体が踊り出す。

 

その大事な初期衝動を忘れそうになったのだ。

 

楽しんで踊りたい。

 

娯茶平の前の連長だった、阿波踊りの名手四宮生重郎さんの踊りが大好きなのだが、娯茶平を辞めた理由も娯茶平がビジネスライク、金儲けの方に走っていったから辞めたそうだ。

 

四宮生重郎さんは、心から楽しんで踊っている。そういう踊り手さんと近いものを感じたのが寶船だった。

 

仕事と思って踊るのなら、プロになればいいのに。実際に連を法人化した寶船さんの存在を知っているから、当時は余計モヤモヤした。

 

寶船と一緒になって踊って分かったのも、楽しんで踊っているけど、本当にプロだということ。楽しみながらプロ意識を持って踊っていた。実際舞台の演出を決めるのも、たった5分ぐらいで決めて、失敗せず大成功を収めていた。かなりの練習量と、ステージ慣れをしているのだと分かった。普通なら、一ヶ月前から何回も舞台の練習を重ねているのに。ライブ感のある演出だった。

 

脱線するけど、『この世界の片隅に』で戦中が身近になったのだけど、徳島市内へ行った時、この熱狂は戦争が終わり、阿波踊りが解禁され戦争から“解放”された踊りなのだなと、ふと思った。歪みながらも耐えた戦争が終わり、“解放”された踊り。終戦(敗戦)からの解放された熱狂が現代と地続きな気がした。

 

綺麗に綺麗に踊るのが阿波踊りじゃない。“解放”の踊り。

 

だからこそ寶船には、阿波踊りの初期衝動を感じる。

 

再来年の瀬戸芸には、寶船をアート作品として出展するように動いている。過去に切腹ピストルズもアートとして出展しているから、不可能ではない。

 

阿波踊りの初期衝動を取り戻した今年のお盆。

 

また来年も、いけだ阿波おどりの寶船のコーディネートをして頑張る。

 

阿波踊りは、“解放”の踊りなのだ。