胸の鏡よ 心濁すな

日記のように綴るブログ

喉に魚の小骨が刺さる

元パートナーに、偏見を持たれたのだろう。

統合失調症の私は、周りの理解や手助けが必要な立場。

彼が言った。
「自分で救うのは、自分しかいない。

だから自立が必要。」

最初会った時、私を病気と見抜いたそうだ。幻覚が見えてるように感じると。

付き合ってる時に、私のこといつから好きになったんですか?と聞いて、この子病気だ!と思ったと。

そして母親と私が一緒にいるのをみて、母親に支配されていると。

別れ話切り出された時、君を可哀想な子と思ってた。嘘ついてたと、カミングアウトされた。

別れたあと、メールのやり取りをしたら、

今初めて罪悪感を感じず、可哀想とも思わず、言葉を伝えられている。愛してるよ。恐れないで、人生にチャレンジしてください。

と、返事が来た。

今まで罪悪感を感じながら、愛してると言ってたの?と引っかかった。

でも、今まで付き合った人は、みんな愛してるよと言っていた。

誕生日に手編みの難しい網目の帽子を編んでくれたから、その愛は偽りではないのだろう。

今まで別れる時に、何かしら元恋人達から、疑問というか、引っかかりをくれる。

喉に魚の小骨が刺さった感じ。それを上手いこと徐々に消化して、元恋人と別れた後に成長していると、主観では思う。

喉に魚の小骨が刺さったという表現は、大学の一回生の時の授業に出てきた言葉だ。

生きているときに、みんな疑問が浮かび上がる。それが喉に魚の小骨が刺さったように、気持ち悪い感じ。何か気になる。引っかかる。それを唾液で少しずつ消化するように、疑問も解いていく。

大学は、魚の小骨が喉に刺さることばかりを勉強する。そして卒業して、社会に出て徐々に疑問を消化していく。

私の場合は、消化しつつも、また喉に小骨が刺さる。

恋愛は、その人と凄く向き合うことだ。そしてすれ違い別れる。何か疑問を抱き、それを消化したときに、また恋人に出会う。

恋愛で成長するタイプなのだろう。

今は、色々本を読んで、勉強して、こうやって文章に書き、消化しつつ、考えている時。

また、誰かに出会えるのだろう。また成長するために。

でも結婚って、どうなんだろう?

私の想像では、一緒にいて、お互い助け合いながら、2人で上がっていくイメージ。

今度は、誰に出会うんだろう?