阿波踊りって?伝統って?
伝統ってなんだろう。最近思うことだ。
大学は京都だったのだか、伝統文化を大学でも学んだり、職人さんと接することによって、色々考えてたことだ。
一保堂は、江戸時代から全く変わらぬ製法で作られたりして、それが凄いという話も聞いた。
しかし、伝統は進化ではなく、思考停止か?と、ある社長さんの言葉を聞いて、最近はっとさせられた。
はっとさせられたのは、私もそう感じていたとこがあったからだと思う。
私は徳島生まれ徳島育ちなので、小さいころから阿波踊りを踊っていた。
小学校、高校と踊り、京都の大学でも阿波踊りサークルに入って、阿波踊りを教えていた。
大学の時、地元の伝統芸能について述べるレポートがあったので、
阿波踊りを取り上げ、色々文献を漁っていたら、こんなページを見つけた。
http://www.awabank.co.jp/kojin/chiiki/awaodori/
それを参考にしてレポートを書いた。
なので私の考える阿波踊りは元々パンクなイメージなのだ。
伝統芸能というより民衆芸能。
時代によって、色んな踊りと合わさって出来たものだと思うのだ。
しかし、地元に帰って、レベルの高い連があったので、気軽に入連したら
阿波踊りは伝統芸能、伝統を重んじる保守的な考えを持つ連長だった。
阿波踊りは品良く踊れ、品が無いと阿波踊りではないと、頑固な連長だった。
伝統継承と銘を打って阿波踊り教室も開いていた。
でも上のリンク先に書いてるように、品良く踊りだしたのは最近のこと。
明治以降の芸者さんが踊るようになってから品良く踊りだしたのだ。
芸者さんが関わりだしてから。だから品良く踊ってる今日である。
実際娯茶平という日本で一番大きな徳島を代表する連があるが、
そこの安藤さんという三味線を弾いてる方は、芸者さんに三味線を教えている先生だ。
なので娯茶平は伝統芸能と謳っていて、品の良い阿波踊りを踊る連だ。
その娯茶平に感化された私が所属している連長は、品良く踊れと言っていた。
阿波踊りもプロと思ってやってくれと言われ、会社勤めではないフリーランスみたいな立場の私は、流石に難しくなって休連することにした。
そのうち辞めようとは決めている。
阿波踊りは江戸時代から今と変わらぬ全く同じものではなく、時代によって変化したもの。天水連の連長は阿波踊りは生き物と言っていた。本当にそうである。
でも私の所属する連長は、そういった風に捉えているとはあまり思えない。
これが正調阿波踊りだと。伝統を重んじる。江戸時代から全く変わってないように言っているように感じる。
休連して衣装を返す時に連長に会うが、その時に連長に伝統ってどう考えていますか?と聞いてみようと思う。
八拍子のガテン系の苔作もあれは阿波踊りではないという人もいる。
でも長い阿波踊りの歴史で見れば、色々派生していくのは普通のことだろう。
これが阿波踊りだ!と保守的にならず、多様に変化していくのが阿波踊りだと思う。
ちなみに東京で生まれた連を法人化した、本当のプロの連である寶船という連があるが、
原点回帰のようにも感じて、また新しい阿波踊りができたと感じて感動した。
劇団みたいにも感じるし、
歌舞伎役者が新しい現代劇を歌舞伎でするように、
寶船も劇団カルチャーというか、東京カルチャーがクロスオーバーしたようにも感じて、
阿波踊りが益々豊かになるような気がして楽しみである。
阿波踊りは“自由”なものなのだ。