胸の鏡よ 心濁すな

日記のように綴るブログ

知的な病か、甘えか

坂口恭平は、躁鬱病は知的な病だと言った。

私は軽度だが、統合失調症である。

同じ病を患ってる有名人は、夏目漱石芥川龍之介草間彌生

夏目漱石は噂だが、神経症なのは間違いない。

 

坂口恭平は、噂だが躁鬱病でもあった夏目漱石を見習って、

 自分をまとめるために文を書き始めたらしい。

 

先ほど、同じ職場の新しく入った人に私の病気をカミングアウトしたら、

 

その人の兄も精神疾患で、兄は親が大事に大事に育てたから、プレッシャーに弱く、

新人さんは24歳の時に両親を亡くし、誰にも甘えられず、病人の兄を看病して

その苦しみを言っていた。その新人さんは涙を浮かべていた。

 

兄は大事に大事に育てたから、プレッシャーに弱く、親の育て方が悪かったんだろうと言っていた。

 

遠まわしに精神疾患は甘えとも取れる話だった。

 

でも誰にも甘えず、60を過ぎた新人さん。若い時に両親を亡くし、離婚してシングルマザーで3人の子供を育て、凄いと思う。

 

甘えられない苦しさも伝わった。

 

私も大事に育てられたから、精神的に病んだのだろうか。

 

 少年アヤちゃんのブログを読んでると、家庭環境も親のせいにはしてないけど、

荒んだ家庭環境だと思った。

 

私の大学の後輩も荒んだ家庭環境で隠れてリストカットしている。

 

お互い様だと思った。

甘えでもないし、みんな色々抱えて、その苦しさは天秤では測れないだろう。

 

なのに精神疾患というだけで、甘えというレッテルを貼られ、それでモヤモヤして

その考えをまとめるために、今ブログを綴っている。

 

社会のせいにするなともいうが、

今楽しみに見ている教育テレビの日本戦後サブカルチャー史を見て、私たちの今現在がよく分かってきた。

 

こないだは90年代が特集で岡崎京子のリバースエッジとエヴァンゲリオンをとりあげていた。

特に生きていく実感がわかず、死体を見て生きている実感が湧いてくるというリバースエッジのシーンは凄く共感した。

ふわふわして生きてく実感が湧かない。だからピアスやリストカットをする。

高校時代はほんとにそうで、今はないが不良雑誌バーストの死体写真などを見ていた。

高校時代は背後に死が寄り添っている感じがして、死をいつも身近に感じていた。

本当に死にたいときは言葉に発することもできず、死ってなんだろうと思った。

南条あや卒業式まで死にませんという本を読んで、生きる実感が湧いて何とか大学も行きたいと思えるようになった。

ちなみに、南条あやは、薬を大量に摂取して死んだ。

その分私も生きなきゃと思ったんだと思う。

死を知ることによって、生きることを知った。

 

大学の恩師は、昔に比べて若い子は傷つきやすく、自殺者も多いと述べていた。

 

戦後サブカルチャー史をずっと見ていて分かったのは、バブル崩壊後の夢を描けない時代も

影響しているのだなと思う。

 

社会のせいにするなという一元論ももっともだが、私たちは生まれてから社会に関わって生きているのだから、全く精神影響を受けないというのはあり得ない。

 

まだなんともまとめるのが難しいけど、社会問題なのだと思う。

70年代からの息苦しさ、閉塞感。

フィルターを変えることによって世界が変わるということを教えてくれたエヴァンゲリオン

みんなリンクしている。

 

私の主観ではちょっとずつ生きてく実感も湧いてきたし、ちょっとでも夢をもてるようになったのだろうか。

 

でも空気読めという言葉があって言いたいことが言えない、生きにくい空気もあるが。

 

なんともいえない。