希望という北極星を見つめて
今回は、私自身に問いただす日記。
最近はただ、なあなあと生きている感じ。
そんな自分でいいのだろうかと、引っかかりを解く日記。
先日、大学の同期が福井県鯖江市に移住をしてTSUGIという会社のデザイナーをしているのだけど、阿波市にデザインと移住で講演をしにきた。そのイベントの司会進行の方と、不思議な縁で大学の同期と共通の友達だった。その方は大学の同期の友達だったり、高校の後輩が私のいとこだったり、徳島で知り合ったのだけど、共通の友人が何人かいたのだ。そのうちの1人が、TSUGIでデザインをしている大学の同期だ。
大学の同期は阿波踊りを踊りに、私の実家に2年連続で泊まりにきたり、アクティブな子だったのだけど、そのアクティブさは今も健在。情熱を持って仕事をしていた。
それに比べたら、私はなあなあと生きてて情けなくなった。私も大学の頃は、あれぐらいの情熱があったけど、今はぼちぼちやってる、ろうそくのともしびみたいなものだ。儚く生きている。大学で養ったパッションは今はどこに行ったのやら。
他人は他人、自分は自分だけど、どこか比べてしまう、哀しき性である。
病気になって、ぼちぼちしか働けないのは仕方のないことだけど、病気でガタがきてるこの身体が憎い。もっと働けたらいいのに。情熱を持って走ると、身体が壊れてしまう。
薬無しでは生きられない、この身体。時たま劣等感に苛まれる。
差別される病気で、時たま社会が憎く思う時もある。何故差別されるのだろうと。
その差別を取り払おうとして、今プロジェクトを練っているところだけど、相模原事件で政府は悪い方向に行っているようで。
一度精神病院を退院した患者を犯罪者のように、監視する法案が動いているようで。斎藤環先生がツイートしていた。
ちょっとでも変わればいい。偏見をなくしたい。ダウン症の子を持つネイリストと意気投合して、一緒にプロジェクトをすることになった。その女性は、健常者とダウン症の子ごじゃまぜで遊ばせたり、色々活動している。メイクレッスンしたり、スキンケアを教えてることになりそうだ。人前に立つのは怖いけど、やるしかない。
いつも私は、北極星のようなわずかな光を目指して、真っ暗闇の中を前に進んで歩いているような感覚がある。それは病気になってからずっとそうだ。
北極星を見失わず、手探りで私は歩いていく。そうやっていつも乗り越えてきたんだ。
確実に分かることは、前に進むしかない。絶望の時はいつもその言葉が、クリアに浮かぶのだ。
空虚な心の穴を埋めるには
先月の月初めは忙しかった。休みが前半1日しかなく、走り終えて、大学の同窓会で京都で遊んだら、疲れが溜まったせいか、今ネガティヴになっているので、今日自分を纏めるために日記を綴っている。
忙しいくらいが丁度いいんだけど、ちょっと気が抜けたら心がナイーブになってきた。相変わらずめんどくさい心体である。
大分この日記のおかげで、上手く付き合えるようになったけど、酔うとめんどくさいし、落ち込みやすいし、まだまだ改善点が沢山あるから、根が真面目な私は、向上しようと欠点と向き合っている。
真面目に生きるのは損という本もあるみたいだけど、この真面目さは弓道で培ったもの。中々とれるものでもないし、根が優等生なとこがあるからだ。自分で言うのも恥ずかしいけど。
車のハンドルに遊びが必要でしょ?あなたにはその「遊び」がないと、大学の恩師に言われた。
本当柔軟に生きたいものである。理想はタモリさん。私の中で一番尊敬する人。
肩の力が抜けているところが凄いなと思う。人を傷つけないお笑いも大好きだ。
もっと魅力的な人間になりたい。
人間力とか陳腐な言葉は使いたくはない。人を惹きつける人になりたい。
私は只今、走り終えて暇になると空虚になり不安になっているだけだ。
稼いでいる大学の友達や、家庭を持った友達、子供がいる友達。どんどん差が出てきているなと思う。人生は競争じゃないのは頭では理解しているんだけど、中々心では理解していない。
もっと向上したいものである。
恋愛に臆病になっている。
タイトルの通り、恋愛に臆病になっている。ちょっといいなあと思う人は元婚約者と別れてから何人かいた。ナンパも何回かあった。
でも、新しい恋愛をする勇気がない。恋愛が怖い。いつか終わるんだろうなと消極的になったり、最近私は「おばさん」になったという自覚があるからだ。賞味期限切れたんだなと感じることがある。
みんな素敵だなと思う男性は結婚している。子供もいる。それか彼女がいる。
なんだか癖があるなーと思う男性はバツイチだったりする。40過ぎて独身男性はなんだか難ありだ。
こんなに綺麗なのになんで独身なんだろうねー、とデリカシーのないおじさんに言われたことがある。私も癖があるのは自覚している。めんどくさい女だと自覚している。
まだ31歳だけど、アラサーの恋人選びは重いなと思う。最近は恋人として選ぶんじゃなくて、結婚前提にできるかなと思って選ぶ。自分でもめんどくさい女だと思う。
キャリアもない、独身で実家暮らし。あまり稼げてもいない。
焦っても仕方がないんだけど、時たま焦燥感に襲われる。今日こんなに暗い日記なのは、久しぶりに元婚約者が夢に現れたからだ。手を繋ぐ夢だった。ネットで夢占いを調べたら未練タラタラとでた。
もう一年半を過ぎたのに、まだ未練タラタラなのかよ、情け無い女だな!と自分に怒っている。
復縁は無理だと思っている。復縁してもうまくいかないとはクリアに思っている。
新しい恋をしたいけど、賞味期限過ぎたのかなと寂しさが募る。
田舎の賞味期限は早い。都会とは違う。
恋愛に対しても、前を向かないといけない。
ああしてれば、こうしてたらと過去に執着するのも終わり。
恋愛に対しても前を向こうと思う。
「そっか。私、笑えるんだ。」
年末30〜31日と大阪で大学の友達と忘年会をした。全然気を使わない関係。久しぶりに腹の底から笑った。
関西人は、コミュニケーション能力が高い。ボケツッコミが凄い。
本当は頭のネジが外れまくっている自分を押し込めて、普通を装っていた。普通の人のフリをするのは辛い。
自分をギューっと押し殺していた感じだ。地元でも自分をオープンにすればいいのだけど、田舎は完全なプライベートがない。何かしら酒を一緒に飲んでも利害関係が多少ある。
「そっか。私笑えるんだ。」
思わずエヴァのアスカの名言が口からでた。みんな笑ってたけど。色々あったんだねーと察してくれた。深くズケズケとプライバシーに入り込まないみんなが好きだ。
年に数回しか会えないけど、余り使わない言葉だけど、こういう関係性を「仲間」と呼ぶのだろう。そういう人達を大切にしていきたい。
この地球に一ヶ所でも居場所があれば生きていける。それを感じた忘年会だった。
なんだか前向きになって、心の底から仕事頑張ろうと思う。やる気がちょっと湧き出している。
みんなありがとうね。みんながいるから生きられる。
自己啓発やスピリチュアルはもういい!
かなり疲れている。
先日、とある下着のネットワークビジネスの研修に行った。
私がビジネスのことを学びたいといったら、ビジネスのことを学べるよと、胡散臭く感じて警戒しながらいった。
人材育成という名の自己啓発と、とある下着メーカーが如何にすごいかという研修だった。
誘われたのは、母親の販社の傘下さん。リンパ整体とダウジングなどのスピリチュアル(レイキもしてたな)をしている人だ。
その人の周りの信者みたいなコミュニティは、本当に脳内お花畑だ。
それに嫌気をさし、凄く疲れて2日寝込んだ。
「光」を送ったり、念じたりしてるみたいで、カルトみたいで気持ち悪かった。そのコミュニティの神様もいるみたいで、それが見えるとか言ってた人もいた。
自己啓発本やマニュアル本、スピリチュアル本を読んでいる人をあまり信用はできない。
自分の位をあげると悪口も言われなくなるとか言ったけど、別にダメ人間でもいいじゃないか。
人をランク付けするのは、なんだか腹ただしい。
人を格付けするのはあまり好きじゃない。人間は広い意味で平等だと思っているからだ。実際平等ではないけれど、人間をランク付する闇の深さに、気分が悪くなる。
私は、人間臭い人が大好きだ。アングラにいくと、もっとめんどくさい人がいる。だから京都にいた時は、よく京大の吉田寮にいた。
調整豆乳より無調整豆乳が美味しいように、調整された人間より、無調整な人間のほうが好き。「変態」な人間が大好きだ。タモリさんみたいな人。
体育会系や自衛隊より、クリエイティブな人に多いぶっ飛んだ人が大好きだ。
この思いは、母校の大学が変態だらけだったからかもしれない。芸大出身の人は気分が落ち着く。
ダメ人間でもいいじゃないか。自分を変えるなんて、なかなか無理だ。表層的なものは変わるけど、その人の本質は小さい頃から変わらない。色んな人を見てきて思うことだ。
ダメはダメでいいじゃないか。みんな自己啓発などに疲れて「Let it go」に癒されたのではないか?
ありのままの姿みせるのよ。
見せられないから、みんな息苦しいのね。
もう、生きたいように生きさせておくれ。
綺麗事だけで、生きのびれる単純な世の中じゃねえぞ。