胸の鏡よ 心濁すな

日記のように綴るブログ

空虚な心の穴を埋めるには

先月の月初めは忙しかった。休みが前半1日しかなく、走り終えて、大学の同窓会で京都で遊んだら、疲れが溜まったせいか、今ネガティヴになっているので、今日自分を纏めるために日記を綴っている。

 

忙しいくらいが丁度いいんだけど、ちょっと気が抜けたら心がナイーブになってきた。相変わらずめんどくさい心体である。

 

大分この日記のおかげで、上手く付き合えるようになったけど、酔うとめんどくさいし、落ち込みやすいし、まだまだ改善点が沢山あるから、根が真面目な私は、向上しようと欠点と向き合っている。

 

真面目に生きるのは損という本もあるみたいだけど、この真面目さは弓道で培ったもの。中々とれるものでもないし、根が優等生なとこがあるからだ。自分で言うのも恥ずかしいけど。

 

車のハンドルに遊びが必要でしょ?あなたにはその「遊び」がないと、大学の恩師に言われた。

 

本当柔軟に生きたいものである。理想はタモリさん。私の中で一番尊敬する人。

 

肩の力が抜けているところが凄いなと思う。人を傷つけないお笑いも大好きだ。

 

もっと魅力的な人間になりたい。

 

人間力とか陳腐な言葉は使いたくはない。人を惹きつける人になりたい。

 

私は只今、走り終えて暇になると空虚になり不安になっているだけだ。

 

稼いでいる大学の友達や、家庭を持った友達、子供がいる友達。どんどん差が出てきているなと思う。人生は競争じゃないのは頭では理解しているんだけど、中々心では理解していない。

 

もっと向上したいものである。

恋愛に臆病になっている。

タイトルの通り、恋愛に臆病になっている。ちょっといいなあと思う人は元婚約者と別れてから何人かいた。ナンパも何回かあった。

 

でも、新しい恋愛をする勇気がない。恋愛が怖い。いつか終わるんだろうなと消極的になったり、最近私は「おばさん」になったという自覚があるからだ。賞味期限切れたんだなと感じることがある。

 

みんな素敵だなと思う男性は結婚している。子供もいる。それか彼女がいる。

なんだか癖があるなーと思う男性はバツイチだったりする。40過ぎて独身男性はなんだか難ありだ。

こんなに綺麗なのになんで独身なんだろうねー、とデリカシーのないおじさんに言われたことがある。私も癖があるのは自覚している。めんどくさい女だと自覚している。

 

まだ31歳だけど、アラサーの恋人選びは重いなと思う。最近は恋人として選ぶんじゃなくて、結婚前提にできるかなと思って選ぶ。自分でもめんどくさい女だと思う。

 

キャリアもない、独身で実家暮らし。あまり稼げてもいない。

 

焦っても仕方がないんだけど、時たま焦燥感に襲われる。今日こんなに暗い日記なのは、久しぶりに元婚約者が夢に現れたからだ。手を繋ぐ夢だった。ネットで夢占いを調べたら未練タラタラとでた。

 

もう一年半を過ぎたのに、まだ未練タラタラなのかよ、情け無い女だな!と自分に怒っている。

 

復縁は無理だと思っている。復縁してもうまくいかないとはクリアに思っている。

 

新しい恋をしたいけど、賞味期限過ぎたのかなと寂しさが募る。

 

田舎の賞味期限は早い。都会とは違う。

 

恋愛に対しても、前を向かないといけない。

 

ああしてれば、こうしてたらと過去に執着するのも終わり。

 

東京タラレバ娘でグサグサささるけど、良いサプリメント

 

恋愛に対しても前を向こうと思う。

「そっか。私、笑えるんだ。」

年末30〜31日と大阪で大学の友達と忘年会をした。全然気を使わない関係。久しぶりに腹の底から笑った。

関西人は、コミュニケーション能力が高い。ボケツッコミが凄い。

 

本当は頭のネジが外れまくっている自分を押し込めて、普通を装っていた。普通の人のフリをするのは辛い。

自分をギューっと押し殺していた感じだ。地元でも自分をオープンにすればいいのだけど、田舎は完全なプライベートがない。何かしら酒を一緒に飲んでも利害関係が多少ある。

 

「そっか。私笑えるんだ。」

思わずエヴァのアスカの名言が口からでた。みんな笑ってたけど。色々あったんだねーと察してくれた。深くズケズケとプライバシーに入り込まないみんなが好きだ。

 

年に数回しか会えないけど、余り使わない言葉だけど、こういう関係性を「仲間」と呼ぶのだろう。そういう人達を大切にしていきたい。

 

この地球に一ヶ所でも居場所があれば生きていける。それを感じた忘年会だった。

 

なんだか前向きになって、心の底から仕事頑張ろうと思う。やる気がちょっと湧き出している。

 

みんなありがとうね。みんながいるから生きられる。

私も頑張らねば

元婚約者が、日本中の友達を訪ねてフェイスブックにアップしていた。

 

そして、帰ってきてもしかしたらだけどカリフォルニアの仕事に誘われているので、渡米するかもと。

 

まだ分かんないけど、どうにかなる彼の人格に尊敬の念を抱いたり。本当人に恵まれてるから、どうにかなるとは思ってたけど。

 

私も色々あるけど、彼も道を切り開いているから、私も切り開いていかないと。

 

お互いの幸せを祈って別れたのを思い出した。

 

頑張ってね。私も頑張る。

自己啓発やスピリチュアルはもういい!

かなり疲れている。

 

先日、とある下着のネットワークビジネスの研修に行った。

 

私がビジネスのことを学びたいといったら、ビジネスのことを学べるよと、胡散臭く感じて警戒しながらいった。

 

人材育成という名の自己啓発と、とある下着メーカーが如何にすごいかという研修だった。

 

誘われたのは、母親の販社の傘下さん。リンパ整体とダウジングなどのスピリチュアル(レイキもしてたな)をしている人だ。

 

その人の周りの信者みたいなコミュニティは、本当に脳内お花畑だ。

 

それに嫌気をさし、凄く疲れて2日寝込んだ。

 

「光」を送ったり、念じたりしてるみたいで、カルトみたいで気持ち悪かった。そのコミュニティの神様もいるみたいで、それが見えるとか言ってた人もいた。

 

自己啓発本やマニュアル本、スピリチュアル本を読んでいる人をあまり信用はできない。

 

自分の位をあげると悪口も言われなくなるとか言ったけど、別にダメ人間でもいいじゃないか。

 

人をランク付けするのは、なんだか腹ただしい。

 

人を格付けするのはあまり好きじゃない。人間は広い意味で平等だと思っているからだ。実際平等ではないけれど、人間をランク付する闇の深さに、気分が悪くなる。

 

私は、人間臭い人が大好きだ。アングラにいくと、もっとめんどくさい人がいる。だから京都にいた時は、よく京大の吉田寮にいた。

 

調整豆乳より無調整豆乳が美味しいように、調整された人間より、無調整な人間のほうが好き。「変態」な人間が大好きだ。タモリさんみたいな人。

体育会系や自衛隊より、クリエイティブな人に多いぶっ飛んだ人が大好きだ。

 

この思いは、母校の大学が変態だらけだったからかもしれない。芸大出身の人は気分が落ち着く。

 

ダメ人間でもいいじゃないか。自分を変えるなんて、なかなか無理だ。表層的なものは変わるけど、その人の本質は小さい頃から変わらない。色んな人を見てきて思うことだ。

 

ダメはダメでいいじゃないか。みんな自己啓発などに疲れて「Let it go」に癒されたのではないか?

ありのままの姿みせるのよ。

 

見せられないから、みんな息苦しいのね。

 

もう、生きたいように生きさせておくれ。

 

綺麗事だけで、生きのびれる単純な世の中じゃねえぞ。

過呼吸と死。

私はよく頑張りすぎる。走り続けてしまって、温泉の浴場で倒れ、担架で運ばれた。

 

色々な人が助けてくれたけど、救急車では運ばれなかった。行き先は精神病院だからだ。

 

母親と口論になり、今まで自分の力で自立するために、必死になって自分で仕事を作ってきたけど、「糸が切れた」感じがして、どてっと倒れた。

 

もうこのまま、夢を見ず母親の「行軍」として自我を殺して生きるしかないのかと思ったら、絶望し、息ができなくなった。

 

緊急病棟で対応してくれた先生には、「糸が切れた」というよりも、「息が切れた」と言われた。

 

休みたいけど、休めない。そんな状態が一年以上続いたら、無理やり自分自身を保っている一本の糸が「切れた」感じがして、辛かった。

倒れた週末には、イベントの仕事があったのに、過呼吸になってしまって、担当医から三日間安静にして、家から出ないことと言われた。

イベントの仕事は休むことにした。今は後悔がある。仕方のないことだけど。2日前にキャンセルは入れた。ドタキャンではないが。

 

理想と現実。現実を突きつけられ、やりたいことをむしり取られた気がした。

 

母親は憎くはないけど、私と母親の関係はアンバランス。お互い理解しているようで理解してないような。

 

今日は父親の従兄弟の奥さんが、急死した。仕事で疲れてお風呂で溺死。

 

生きると死ぬとではどっちが楽なんだろう。私の命をあげるから、急死しないで欲しかった。不謹慎にも、亡くなった親戚が羨ましかった。

 

生きながら、必死に息をする過呼吸の私と、お風呂で溺れて息を引き取った親戚。

 

なんだか皮肉にも感じた。

 

私は死ぬのを恐れていない。それは私がまだまだ死なないのを感じ取っているからだろう。

 

実際死が近づいてくると、色んな準備をし始めるだろう。

 

ただ私は生きるのに疲れているだけ。

 

この過呼吸の症状もいつか治ることを祈りながら、不安を押し込みながら寝る。

 

おやすみなさい。

憧れの人、雨宮まみさん

雨宮まみさんが、死んだ。

 

まだ混乱している。

 

目標だった人が、早死したからだ。40歳。独身。

 

「事故」で死んだと発表していたが、自宅で「事故」とはどういうことだろう?自殺?など色々憶測が飛び交っている。

 

「40歳がくる!」で、酔いすぎであざだらけで帰ることもあったので、酔いすぎだろうか。ネットでは、大量に薬飲んでも事故になるからねという書き込みもあった。

 

「女子をこじらせて」を読んで、好きなことを仕事にして、凄く楽しい!嬉しい!と書いてあったので、まだまだ今の仕事の状況に満足していない私は、「いつか雨宮まみさんみたいになれたらなあ。。」と思っていた。

 

今月初めにも、H&MKENZOのコラボの服を着てインスタにアップして、華やかな雨宮まみさんをみて、私もいつかバリバリに働いて、素敵な服を身にまといたいと思っていた。自分の稼いだ金で、高い洋服を買って。。。

そう、東京で働くバリバリのキャリアウーマンが私にとって雨宮まみさんだった。私のイメージそのものだった。

 

インスタを見ても、東京でしか着れないようなファッションを身にまとっている。THE東京というファッション。そして華やかな仕事。

 

でも「40歳がくる!」で、一番最新の投稿に、命を削りながら書いていると書いていて、そのせいなのかなと思った。記事の終わりが、華やかな流れだったので印象に残っている。

 

クリエイティブな仕事、特に有名な人は命を削りながら作っている。私の好きな安野モヨコ庵野秀明夫妻も。私の身近な友人もそうだ。その友人は年商10億の社長で、個人資産5億。副業のバンドも売れて、その分命を削り、パニック障害躁鬱病を患っている。

 

憧れの女性が死んだことは、なんだかどの道行ったらいいんだろうと動揺している。目標を失ったみたいで。

 

私は今どう働きたいか、もっと深く言うと「どう生きたいか」と自問自答するきっかけになった。一度お会いしたことのあるphaさんや、伊藤洋志さんみたいに、既存の道から外れてたくましく生きている人。

もしくは華やかな世界で活躍している雨宮まみさんだった。ワーカホリックな人。

二つとも共通するのは、たくましい人だ。

 

私はワーカホリックな、雨宮まみさんの様に生きたいと思った。でもこの早すぎる死で、働くってなんだろう?生きるってなんだろう?と思ってしまった。価値観がグラグラしている。

phaさんのように、世界はもっと豊かなはずを、日々忘れたくないと思ってたけど、その思いが強くなった。かといって毎日ゴロゴロはできないのだけど。程よく忙しいけど、心の余裕はある人。

 

本当に憧れの女性でした。「穴の底でお待ちしています」も好きな連載だった。こんな重い愚痴を優しく包み込むように指摘したり、励ましたりする。普通なら、みんなボロクソに批判する相談内容を、優しく癒す雨宮まみさんが大好きだった。

 

これからどう生きていけばいいんだろう?心の拠り所だった雨宮まみさんの新しい文章がもう読めない。そっと寄り添ってくれる人がいない。

 

雨宮まみさんは、天国に行かれたのだろうか?向こうの世界があるかどうかはわからないけど、向こうで優しく見守ってほしい。これは一ファンのエゴの気持ちですが。

 

雨宮まみさん、ありがとうございました。あなたのいない人生は不安ですが、一女性として、生きてゆきたいと思います。でも、早死はしません。命を削るほどのストイックな仕事をすると、あなたのように早死するかもしれませんが、私はあなた以上に生きていこうと思います。