胸の鏡よ 心濁すな

日記のように綴るブログ

「そっか。私、笑えるんだ。」

年末30〜31日と大阪で大学の友達と忘年会をした。全然気を使わない関係。久しぶりに腹の底から笑った。

関西人は、コミュニケーション能力が高い。ボケツッコミが凄い。

 

本当は頭のネジが外れまくっている自分を押し込めて、普通を装っていた。普通の人のフリをするのは辛い。

自分をギューっと押し殺していた感じだ。地元でも自分をオープンにすればいいのだけど、田舎は完全なプライベートがない。何かしら酒を一緒に飲んでも利害関係が多少ある。

 

「そっか。私笑えるんだ。」

思わずエヴァのアスカの名言が口からでた。みんな笑ってたけど。色々あったんだねーと察してくれた。深くズケズケとプライバシーに入り込まないみんなが好きだ。

 

年に数回しか会えないけど、余り使わない言葉だけど、こういう関係性を「仲間」と呼ぶのだろう。そういう人達を大切にしていきたい。

 

この地球に一ヶ所でも居場所があれば生きていける。それを感じた忘年会だった。

 

なんだか前向きになって、心の底から仕事頑張ろうと思う。やる気がちょっと湧き出している。

 

みんなありがとうね。みんながいるから生きられる。

私も頑張らねば

元婚約者が、日本中の友達を訪ねてフェイスブックにアップしていた。

 

そして、帰ってきてもしかしたらだけどカリフォルニアの仕事に誘われているので、渡米するかもと。

 

まだ分かんないけど、どうにかなる彼の人格に尊敬の念を抱いたり。本当人に恵まれてるから、どうにかなるとは思ってたけど。

 

私も色々あるけど、彼も道を切り開いているから、私も切り開いていかないと。

 

お互いの幸せを祈って別れたのを思い出した。

 

頑張ってね。私も頑張る。

自己啓発やスピリチュアルはもういい!

かなり疲れている。

 

先日、とある下着のネットワークビジネスの研修に行った。

 

私がビジネスのことを学びたいといったら、ビジネスのことを学べるよと、胡散臭く感じて警戒しながらいった。

 

人材育成という名の自己啓発と、とある下着メーカーが如何にすごいかという研修だった。

 

誘われたのは、母親の販社の傘下さん。リンパ整体とダウジングなどのスピリチュアル(レイキもしてたな)をしている人だ。

 

その人の周りの信者みたいなコミュニティは、本当に脳内お花畑だ。

 

それに嫌気をさし、凄く疲れて2日寝込んだ。

 

「光」を送ったり、念じたりしてるみたいで、カルトみたいで気持ち悪かった。そのコミュニティの神様もいるみたいで、それが見えるとか言ってた人もいた。

 

自己啓発本やマニュアル本、スピリチュアル本を読んでいる人をあまり信用はできない。

 

自分の位をあげると悪口も言われなくなるとか言ったけど、別にダメ人間でもいいじゃないか。

 

人をランク付けするのは、なんだか腹ただしい。

 

人を格付けするのはあまり好きじゃない。人間は広い意味で平等だと思っているからだ。実際平等ではないけれど、人間をランク付する闇の深さに、気分が悪くなる。

 

私は、人間臭い人が大好きだ。アングラにいくと、もっとめんどくさい人がいる。だから京都にいた時は、よく京大の吉田寮にいた。

 

調整豆乳より無調整豆乳が美味しいように、調整された人間より、無調整な人間のほうが好き。「変態」な人間が大好きだ。タモリさんみたいな人。

体育会系や自衛隊より、クリエイティブな人に多いぶっ飛んだ人が大好きだ。

 

この思いは、母校の大学が変態だらけだったからかもしれない。芸大出身の人は気分が落ち着く。

 

ダメ人間でもいいじゃないか。自分を変えるなんて、なかなか無理だ。表層的なものは変わるけど、その人の本質は小さい頃から変わらない。色んな人を見てきて思うことだ。

 

ダメはダメでいいじゃないか。みんな自己啓発などに疲れて「Let it go」に癒されたのではないか?

ありのままの姿みせるのよ。

 

見せられないから、みんな息苦しいのね。

 

もう、生きたいように生きさせておくれ。

 

綺麗事だけで、生きのびれる単純な世の中じゃねえぞ。

過呼吸と死。

私はよく頑張りすぎる。走り続けてしまって、温泉の浴場で倒れ、担架で運ばれた。

 

色々な人が助けてくれたけど、救急車では運ばれなかった。行き先は精神病院だからだ。

 

母親と口論になり、今まで自分の力で自立するために、必死になって自分で仕事を作ってきたけど、「糸が切れた」感じがして、どてっと倒れた。

 

もうこのまま、夢を見ず母親の「行軍」として自我を殺して生きるしかないのかと思ったら、絶望し、息ができなくなった。

 

緊急病棟で対応してくれた先生には、「糸が切れた」というよりも、「息が切れた」と言われた。

 

休みたいけど、休めない。そんな状態が一年以上続いたら、無理やり自分自身を保っている一本の糸が「切れた」感じがして、辛かった。

倒れた週末には、イベントの仕事があったのに、過呼吸になってしまって、担当医から三日間安静にして、家から出ないことと言われた。

イベントの仕事は休むことにした。今は後悔がある。仕方のないことだけど。2日前にキャンセルは入れた。ドタキャンではないが。

 

理想と現実。現実を突きつけられ、やりたいことをむしり取られた気がした。

 

母親は憎くはないけど、私と母親の関係はアンバランス。お互い理解しているようで理解してないような。

 

今日は父親の従兄弟の奥さんが、急死した。仕事で疲れてお風呂で溺死。

 

生きると死ぬとではどっちが楽なんだろう。私の命をあげるから、急死しないで欲しかった。不謹慎にも、亡くなった親戚が羨ましかった。

 

生きながら、必死に息をする過呼吸の私と、お風呂で溺れて息を引き取った親戚。

 

なんだか皮肉にも感じた。

 

私は死ぬのを恐れていない。それは私がまだまだ死なないのを感じ取っているからだろう。

 

実際死が近づいてくると、色んな準備をし始めるだろう。

 

ただ私は生きるのに疲れているだけ。

 

この過呼吸の症状もいつか治ることを祈りながら、不安を押し込みながら寝る。

 

おやすみなさい。

憧れの人、雨宮まみさん

雨宮まみさんが、死んだ。

 

まだ混乱している。

 

目標だった人が、早死したからだ。40歳。独身。

 

「事故」で死んだと発表していたが、自宅で「事故」とはどういうことだろう?自殺?など色々憶測が飛び交っている。

 

「40歳がくる!」で、酔いすぎであざだらけで帰ることもあったので、酔いすぎだろうか。ネットでは、大量に薬飲んでも事故になるからねという書き込みもあった。

 

「女子をこじらせて」を読んで、好きなことを仕事にして、凄く楽しい!嬉しい!と書いてあったので、まだまだ今の仕事の状況に満足していない私は、「いつか雨宮まみさんみたいになれたらなあ。。」と思っていた。

 

今月初めにも、H&MKENZOのコラボの服を着てインスタにアップして、華やかな雨宮まみさんをみて、私もいつかバリバリに働いて、素敵な服を身にまといたいと思っていた。自分の稼いだ金で、高い洋服を買って。。。

そう、東京で働くバリバリのキャリアウーマンが私にとって雨宮まみさんだった。私のイメージそのものだった。

 

インスタを見ても、東京でしか着れないようなファッションを身にまとっている。THE東京というファッション。そして華やかな仕事。

 

でも「40歳がくる!」で、一番最新の投稿に、命を削りながら書いていると書いていて、そのせいなのかなと思った。記事の終わりが、華やかな流れだったので印象に残っている。

 

クリエイティブな仕事、特に有名な人は命を削りながら作っている。私の好きな安野モヨコ庵野秀明夫妻も。私の身近な友人もそうだ。その友人は年商10億の社長で、個人資産5億。副業のバンドも売れて、その分命を削り、パニック障害躁鬱病を患っている。

 

憧れの女性が死んだことは、なんだかどの道行ったらいいんだろうと動揺している。目標を失ったみたいで。

 

私は今どう働きたいか、もっと深く言うと「どう生きたいか」と自問自答するきっかけになった。一度お会いしたことのあるphaさんや、伊藤洋志さんみたいに、既存の道から外れてたくましく生きている人。

もしくは華やかな世界で活躍している雨宮まみさんだった。ワーカホリックな人。

二つとも共通するのは、たくましい人だ。

 

私はワーカホリックな、雨宮まみさんの様に生きたいと思った。でもこの早すぎる死で、働くってなんだろう?生きるってなんだろう?と思ってしまった。価値観がグラグラしている。

phaさんのように、世界はもっと豊かなはずを、日々忘れたくないと思ってたけど、その思いが強くなった。かといって毎日ゴロゴロはできないのだけど。程よく忙しいけど、心の余裕はある人。

 

本当に憧れの女性でした。「穴の底でお待ちしています」も好きな連載だった。こんな重い愚痴を優しく包み込むように指摘したり、励ましたりする。普通なら、みんなボロクソに批判する相談内容を、優しく癒す雨宮まみさんが大好きだった。

 

これからどう生きていけばいいんだろう?心の拠り所だった雨宮まみさんの新しい文章がもう読めない。そっと寄り添ってくれる人がいない。

 

雨宮まみさんは、天国に行かれたのだろうか?向こうの世界があるかどうかはわからないけど、向こうで優しく見守ってほしい。これは一ファンのエゴの気持ちですが。

 

雨宮まみさん、ありがとうございました。あなたのいない人生は不安ですが、一女性として、生きてゆきたいと思います。でも、早死はしません。命を削るほどのストイックな仕事をすると、あなたのように早死するかもしれませんが、私はあなた以上に生きていこうと思います。

こんな夢をみた

予知夢と言えばいいのか、正夢と言えばいいのかわからないくらい、曖昧な夢をみた。

 

1ヶ月前ぐらいかな?

元婚約者がホームレスになり、道で目が虚無状態でぼーっと座っているところを私が家に持って帰り、汚れた身体を洗う夢をみた。

 

そして昨日フェイスブックを開けたら、元婚約者がゲストハウスを辞めてホームがレスになり、友達の家に転がり込んだらしい。

「ワタクシの不徳により」と書いてたけど、何かあったんだろう。それは何となく彼がゲストハウスプロジェクトに参加して、厳しい道に行くから、予感はしていた。こうなるんじゃないかと。

だから、霊的なものでもなく、勘は鋭いほうなので、予感が夢になり、それが正夢になった。

 

急遽辞めたので、何かあったんだろう。

 

彼はこれから予定がないので、放浪の旅に出る。旅に出てこれから色々決めるみたい。

 

私の地元にも顔を出すようだ。会う約束をした。

 

波瀾万丈な彼だけど、まあそれも彼らしい生き方だ。

 

彼が幸せになりますように。

秋は嫌い。

美容やファッションの季節。読書の季節。芸術の季節。

 

でも成人してから、秋は嫌いになった。

 

センチメンタルになる、感傷的になるこの季節は、心がヒリヒリする。

 

阿波踊りが好きなせいも関連する。

 

お盆で盛り上がって、お盆を過ぎると秋がくる。

 

あんなに楽しかった夏が終わる。

 

祭りの後の哀しさを、より秋が酷くする。

 

大学三年生の時、学祭で阿波踊りが終わった瞬間に泣き出してしまったことがある。

 

みんなで楽しんだ阿波踊り。今年の祭りが終わるんだと泣いてしまった。

 

男友達が抱きしめてくれたけど。

 

真冬の方が好きかもしれない。真冬の星座が好きで、空気が澄んだ夜空が好きだから。

 

寂しくて、恋したいなあと思うけど、恋に臆病になっている半面、元婚約者と比べてしまってときめかない。

 

今日も元婚約者が夢に出てきてしまった。

 

元気にしてるだろうか。

 

幸せを願っているけど、全く未練がないと言ったら嘘になる。もう次に進みなよと、私の中の男が、女々しい女の私に説教する。

 

全て気持ちがぐちゃぐちゃになるのは秋のせいだ。

 

人と会わず、コーヒーを飲んで読書する。

 

孤独を噛み締める、秋。