自己啓発やスピリチュアルはもういい!
かなり疲れている。
先日、とある下着のネットワークビジネスの研修に行った。
私がビジネスのことを学びたいといったら、ビジネスのことを学べるよと、胡散臭く感じて警戒しながらいった。
人材育成という名の自己啓発と、とある下着メーカーが如何にすごいかという研修だった。
誘われたのは、母親の販社の傘下さん。リンパ整体とダウジングなどのスピリチュアル(レイキもしてたな)をしている人だ。
その人の周りの信者みたいなコミュニティは、本当に脳内お花畑だ。
それに嫌気をさし、凄く疲れて2日寝込んだ。
「光」を送ったり、念じたりしてるみたいで、カルトみたいで気持ち悪かった。そのコミュニティの神様もいるみたいで、それが見えるとか言ってた人もいた。
自己啓発本やマニュアル本、スピリチュアル本を読んでいる人をあまり信用はできない。
自分の位をあげると悪口も言われなくなるとか言ったけど、別にダメ人間でもいいじゃないか。
人をランク付けするのは、なんだか腹ただしい。
人を格付けするのはあまり好きじゃない。人間は広い意味で平等だと思っているからだ。実際平等ではないけれど、人間をランク付する闇の深さに、気分が悪くなる。
私は、人間臭い人が大好きだ。アングラにいくと、もっとめんどくさい人がいる。だから京都にいた時は、よく京大の吉田寮にいた。
調整豆乳より無調整豆乳が美味しいように、調整された人間より、無調整な人間のほうが好き。「変態」な人間が大好きだ。タモリさんみたいな人。
体育会系や自衛隊より、クリエイティブな人に多いぶっ飛んだ人が大好きだ。
この思いは、母校の大学が変態だらけだったからかもしれない。芸大出身の人は気分が落ち着く。
ダメ人間でもいいじゃないか。自分を変えるなんて、なかなか無理だ。表層的なものは変わるけど、その人の本質は小さい頃から変わらない。色んな人を見てきて思うことだ。
ダメはダメでいいじゃないか。みんな自己啓発などに疲れて「Let it go」に癒されたのではないか?
ありのままの姿みせるのよ。
見せられないから、みんな息苦しいのね。
もう、生きたいように生きさせておくれ。
綺麗事だけで、生きのびれる単純な世の中じゃねえぞ。
過呼吸と死。
私はよく頑張りすぎる。走り続けてしまって、温泉の浴場で倒れ、担架で運ばれた。
色々な人が助けてくれたけど、救急車では運ばれなかった。行き先は精神病院だからだ。
母親と口論になり、今まで自分の力で自立するために、必死になって自分で仕事を作ってきたけど、「糸が切れた」感じがして、どてっと倒れた。
もうこのまま、夢を見ず母親の「行軍」として自我を殺して生きるしかないのかと思ったら、絶望し、息ができなくなった。
緊急病棟で対応してくれた先生には、「糸が切れた」というよりも、「息が切れた」と言われた。
休みたいけど、休めない。そんな状態が一年以上続いたら、無理やり自分自身を保っている一本の糸が「切れた」感じがして、辛かった。
倒れた週末には、イベントの仕事があったのに、過呼吸になってしまって、担当医から三日間安静にして、家から出ないことと言われた。
イベントの仕事は休むことにした。今は後悔がある。仕方のないことだけど。2日前にキャンセルは入れた。ドタキャンではないが。
理想と現実。現実を突きつけられ、やりたいことをむしり取られた気がした。
母親は憎くはないけど、私と母親の関係はアンバランス。お互い理解しているようで理解してないような。
今日は父親の従兄弟の奥さんが、急死した。仕事で疲れてお風呂で溺死。
生きると死ぬとではどっちが楽なんだろう。私の命をあげるから、急死しないで欲しかった。不謹慎にも、亡くなった親戚が羨ましかった。
生きながら、必死に息をする過呼吸の私と、お風呂で溺れて息を引き取った親戚。
なんだか皮肉にも感じた。
私は死ぬのを恐れていない。それは私がまだまだ死なないのを感じ取っているからだろう。
実際死が近づいてくると、色んな準備をし始めるだろう。
ただ私は生きるのに疲れているだけ。
この過呼吸の症状もいつか治ることを祈りながら、不安を押し込みながら寝る。
おやすみなさい。
憧れの人、雨宮まみさん
雨宮まみさんが、死んだ。
まだ混乱している。
目標だった人が、早死したからだ。40歳。独身。
「事故」で死んだと発表していたが、自宅で「事故」とはどういうことだろう?自殺?など色々憶測が飛び交っている。
「40歳がくる!」で、酔いすぎであざだらけで帰ることもあったので、酔いすぎだろうか。ネットでは、大量に薬飲んでも事故になるからねという書き込みもあった。
「女子をこじらせて」を読んで、好きなことを仕事にして、凄く楽しい!嬉しい!と書いてあったので、まだまだ今の仕事の状況に満足していない私は、「いつか雨宮まみさんみたいになれたらなあ。。」と思っていた。
今月初めにも、H&MのKENZOのコラボの服を着てインスタにアップして、華やかな雨宮まみさんをみて、私もいつかバリバリに働いて、素敵な服を身にまといたいと思っていた。自分の稼いだ金で、高い洋服を買って。。。
そう、東京で働くバリバリのキャリアウーマンが私にとって雨宮まみさんだった。私のイメージそのものだった。
インスタを見ても、東京でしか着れないようなファッションを身にまとっている。THE東京というファッション。そして華やかな仕事。
でも「40歳がくる!」で、一番最新の投稿に、命を削りながら書いていると書いていて、そのせいなのかなと思った。記事の終わりが、華やかな流れだったので印象に残っている。
クリエイティブな仕事、特に有名な人は命を削りながら作っている。私の好きな安野モヨコ、庵野秀明夫妻も。私の身近な友人もそうだ。その友人は年商10億の社長で、個人資産5億。副業のバンドも売れて、その分命を削り、パニック障害と躁鬱病を患っている。
憧れの女性が死んだことは、なんだかどの道行ったらいいんだろうと動揺している。目標を失ったみたいで。
私は今どう働きたいか、もっと深く言うと「どう生きたいか」と自問自答するきっかけになった。一度お会いしたことのあるphaさんや、伊藤洋志さんみたいに、既存の道から外れてたくましく生きている人。
もしくは華やかな世界で活躍している雨宮まみさんだった。ワーカホリックな人。
二つとも共通するのは、たくましい人だ。
私はワーカホリックな、雨宮まみさんの様に生きたいと思った。でもこの早すぎる死で、働くってなんだろう?生きるってなんだろう?と思ってしまった。価値観がグラグラしている。
phaさんのように、世界はもっと豊かなはずを、日々忘れたくないと思ってたけど、その思いが強くなった。かといって毎日ゴロゴロはできないのだけど。程よく忙しいけど、心の余裕はある人。
本当に憧れの女性でした。「穴の底でお待ちしています」も好きな連載だった。こんな重い愚痴を優しく包み込むように指摘したり、励ましたりする。普通なら、みんなボロクソに批判する相談内容を、優しく癒す雨宮まみさんが大好きだった。
これからどう生きていけばいいんだろう?心の拠り所だった雨宮まみさんの新しい文章がもう読めない。そっと寄り添ってくれる人がいない。
雨宮まみさんは、天国に行かれたのだろうか?向こうの世界があるかどうかはわからないけど、向こうで優しく見守ってほしい。これは一ファンのエゴの気持ちですが。
雨宮まみさん、ありがとうございました。あなたのいない人生は不安ですが、一女性として、生きてゆきたいと思います。でも、早死はしません。命を削るほどのストイックな仕事をすると、あなたのように早死するかもしれませんが、私はあなた以上に生きていこうと思います。
こんな夢をみた
予知夢と言えばいいのか、正夢と言えばいいのかわからないくらい、曖昧な夢をみた。
1ヶ月前ぐらいかな?
元婚約者がホームレスになり、道で目が虚無状態でぼーっと座っているところを私が家に持って帰り、汚れた身体を洗う夢をみた。
そして昨日フェイスブックを開けたら、元婚約者がゲストハウスを辞めてホームがレスになり、友達の家に転がり込んだらしい。
「ワタクシの不徳により」と書いてたけど、何かあったんだろう。それは何となく彼がゲストハウスプロジェクトに参加して、厳しい道に行くから、予感はしていた。こうなるんじゃないかと。
だから、霊的なものでもなく、勘は鋭いほうなので、予感が夢になり、それが正夢になった。
急遽辞めたので、何かあったんだろう。
彼はこれから予定がないので、放浪の旅に出る。旅に出てこれから色々決めるみたい。
私の地元にも顔を出すようだ。会う約束をした。
波瀾万丈な彼だけど、まあそれも彼らしい生き方だ。
彼が幸せになりますように。
秋は嫌い。
美容やファッションの季節。読書の季節。芸術の季節。
でも成人してから、秋は嫌いになった。
センチメンタルになる、感傷的になるこの季節は、心がヒリヒリする。
阿波踊りが好きなせいも関連する。
お盆で盛り上がって、お盆を過ぎると秋がくる。
あんなに楽しかった夏が終わる。
祭りの後の哀しさを、より秋が酷くする。
大学三年生の時、学祭で阿波踊りが終わった瞬間に泣き出してしまったことがある。
みんなで楽しんだ阿波踊り。今年の祭りが終わるんだと泣いてしまった。
男友達が抱きしめてくれたけど。
真冬の方が好きかもしれない。真冬の星座が好きで、空気が澄んだ夜空が好きだから。
寂しくて、恋したいなあと思うけど、恋に臆病になっている半面、元婚約者と比べてしまってときめかない。
今日も元婚約者が夢に出てきてしまった。
元気にしてるだろうか。
幸せを願っているけど、全く未練がないと言ったら嘘になる。もう次に進みなよと、私の中の男が、女々しい女の私に説教する。
全て気持ちがぐちゃぐちゃになるのは秋のせいだ。
人と会わず、コーヒーを飲んで読書する。
孤独を噛み締める、秋。
失敗を怖れず
今回は自分に言い聞かせる日記。
一緒にメイクイベントコラボをした、フリーランスのメイク講師の人が中心に企画している、シェアオフィスの懇親会に参加した。
シェアオフィスのメンバーにならないかと、メイク講師の方に誘われたのだ。でも美容家の人が沢山集まっているから、実際ノエビアの他の販社さんだったり、ポーラさんだったり、ハリウッド化粧品の方だったり、ベビーマッサージ、若石マッサージだったり、沢山の同業者がいっぱいいる。
企画したフリーランスのメイク講師の方は、潰し合いにならないようにと、お互いコラボなどして高め合う、勉強会になるようにとミーティングで言っていた。
そしてそのシェアオフィスのスタッフや、美容のマルシェのスタッフをすることになった。
そして月二回、出張マッサージをシェアオフィスに隣接しているカフェでやることになった。
前にいたカフェは、綺麗に別れられた。色々仕事をフリーランスのメイク講師の方から教わったらいいよと、カフェのオーナーが言っていた。
でもフリーランスのメイク講師の方に、これから厳しく言われるだろうな、怒られるだろうなと、ちょっとビクビクしつつも、そのフリーランスのメイク講師の方は、学生の時ハンドボールの部長をやっていたので、なんだか部活みたいにやる気が出てきている。いや、仕事を部活という例えはちょっと語弊があるかもしれないけど、面倒見がいいので、ついていきます、先輩!!みたいなノリ笑
ゆるい雰囲気ではないので、厳しく鍛えよう。叱られてもなんのその。失敗を怖れず頑張ろう。
今回は場所代がつくので、のんびりできない。そう、危険な方の道を選んだのだ。でも直観だ。
やるといったからには、ベストを尽くし、目の前のことを一所懸命に。フリーランスのメイク講師のビジネスのエッセンスを取り込んで、目の前のことをやるだけ。
不安が全くないと言ったら嘘になる。
頑張ろう。
結婚について考える
婚約破棄して1年が経った。籍は入れてないけど、通い婚をしていた9ヶ月。それで色々わかったのは、私はまだ結婚する段階ではないこと。経済力のない私が、無理やり結婚するとなって、凄くマリッジブルーだった。
今の状態は、離婚してでも大丈夫なくらい「自立」することと、自分に言い聞かせている。
結婚がよくわからない。でも婚約していざ結婚の準備するとなると、やはりお金が必要なのだなとひしひしと感じた。子供を育てるとお金が必要。今は男性も女性も経済力がないと、子育ては難しい時代。
先日面倒くさい男性に絡まれた。私のことを本当の愛をしてないだの、我儘だのと言われた。
今年の3月に元婚約者に、家族と縁を切って駆け落ちを誘われたが、家族も大事だし、仕事も進んでいるので、断った。それを面倒くさい人に伝えると、
「彼も家族も大事なんて、我儘だよ!何か捨てないと!」と言われた。
その方はバツイチ子持ちで、不倫やドロドロの恋愛をしたこともある、44歳独身。幸せな家庭を築いた人に言われるなら説得力あるけど、そんな人に、本当の愛をしたことがないと言われても、説得力がなかった。
友達に駆け落ちは古今東西、逃げることだから、2人だけ幸せならいいという方が、我儘だと思う。家族もパートナーも大事な方が、本当の愛だと思うと言われた。
モード雑誌GINZAで、岡村靖幸結婚への道の対談コラムで、上野千鶴子が出てきた。好きなコラムだか、上野千鶴子が出てくるなんて、びっくりした。名言がいっぱいだったので、引用する。
上野 :初めにね、結婚を「問い」にするというこの切り口がいいと思いました。セックスや恋愛は問いにはなりませんから。
岡村:なぜですか?それは本能だからということですか?
上野:「人間には性欲がある」と思われていますから、誰も「人はなぜセックスするのか」と問いません。「人はなぜ恋愛をするのか」という問いも、「恋愛はしないよりもしたほうがいい」とみんな思っているから問いにはなりません。ところが、「人はなぜ結婚するのか」というと、これは“謎”なんです。前の2つの問いよりも謎が大きい“秘境”なんです。
腑に落ちた。本当に謎だ。だから色々な人になんで結婚したのか?と問う。そう、“謎”なのだ。上野千鶴子は結婚を分かりやすく定義している。
「自分の身体の性的使用権を生涯にわたって唯一人の異性に譲渡する契約のこと」
結婚したら、もう他の人と恋愛ができない。不倫。子供がいるとさらに泥沼。だから私は結婚を躊躇ったのだ。別れても子供ができても、自立できるぐらい、経済力のある女性にならないと。
岡村靖幸はこんなことを対談で言っていた。
岡村:男女の関係は、時間が経てば刺激は磨耗していくものだし、馴れ合いになっていく。お互いの嫌なところも見えてきます。それは当然なんです。結婚してもなお刺激が磨耗せず、他人にも目が向かず、円満状態でいる、というのはものすごく奇跡的なことだと思っています。
その発言に結婚して母親になった女性はこういうと上野千鶴子は言っていた。
「家族になっちゃったら性欲が湧かないわよね」
こうも言っていた。
上野:人間の感情とか欲望を契約で縛ることができますか?
そしてこうも。
岡村:恋愛感情と性関係が僕の場合は混在してるんです。セックスはセックス、恋愛は恋愛とはなってない、僕のなかでは。
上野:私だって混在してます。興味をもつというのは愛の始まりです。相手に興味をもち、「あ、この人面白いな」と思ったとき、体が自然と前のめりになるじゃないですか。その体がそのまま倒れかかれば、そのままセックスに至る。それだけの話です(笑)。
そしてこの部分。
上野:安心ということでいうと、私も結婚した人たちに、「なぜ事実婚じゃだめなの?」という問いかけをしてみました。そこでわかったのは、ああ、この人たちは“保険”に入ったんだなということ。結婚という名前の“保険”。ただし、この保険は、不良債権を出している保険会社の保険に入るようなものです。当てにならない保険に入るなんて幻想そのもの。それでも人間は保険に入りたい生き物なんだと。それが幻想だとわかっていても、それが人間の弱さで、人間の愚かさなのだと。私は、自分に保険はかけたくないと思っています。それでも保険に入りたいですか?
そしてこんなことも。
上野:私はね、教え子が結婚の報告にやってくるとこんな言葉で祝福するんです。「自分の人生に巻き込んでも相手の人生に巻き込まれてもいいと思える相手と巡り会えるなんて、人生のうちで指折り数えるほどの稀少な出来事。そのくらい血迷える相手に出会ったことは幸せね」って。
纏まりがなくて分かりにくて、読者の人には申し訳ないが、それぐらい私にとっても結婚は“謎”なのだ。まだまとまらないから、こうごじゃごじゃした日記になってしまった。
でもそういう経験(結婚のこと)をもつことはいいことだと思います。人生を豊かにすることですから。
結婚が幸せだとは限らない。ゴールとも思ってもいない。“契約”して所有する、されるというのが嫌だったのだと思う。母になり性欲も湧かないのに、他の人と恋愛関係になるとルール違反となりごちゃごちゃになる。
けど、上野千鶴子は沢山の「お友達」ができるが、感情を鎖で縛りつける権利はないという。そんなおぞましいことはできない。なぜなら私もそうだからと言っていた。人の気持ちはうつろっていくもの。
そんな沢山の「お友達」ができるとフリーセックスと短絡的に言われるのが、わからないと。人を縛られ所有され、だから人の感情を縛りつけない。なぜなら私もそうだから。お友達が他の女性とできたという経験もあるから、ひたすら悲しいと。人の心は縛りつけないなあとほろほろ泣く。それをやめろとはいえない。自分自身もそうだし、人の心は移り変わるものだから、ひたすら泣くと。そう上野千鶴子は言っていた。
まだまだ結婚はわからない。二人になればなんとかなるんじゃないかと思って結婚したと大学の恩師は言っていた。
私は家族を持ってみたい。上野千鶴子は(結婚は)人生を豊かにするものですからと言ってたのが印象的だった。
私はまだこの人だとなんとかなるという相手に出会えてないのかもしれない。
元婚約者は統合失調症を受け入れる人ではなかった。でも憎しみはない。そういう人なのだろう。だからかもしれないが、どこか信頼できなかったのかもしれない。でも彼の幸せを祈っている。それは本当の気持ち。彼も私の幸せを祈っている。
今やらなきゃいけないこと、頑張らなきゃいけないことをやるだけ。それは今現在はっきりと分かるビジョン。仕事も少し開けてきたので、前に進む。