胸の鏡よ 心濁すな

日記のように綴るブログ

秋は嫌い。

美容やファッションの季節。読書の季節。芸術の季節。

 

でも成人してから、秋は嫌いになった。

 

センチメンタルになる、感傷的になるこの季節は、心がヒリヒリする。

 

阿波踊りが好きなせいも関連する。

 

お盆で盛り上がって、お盆を過ぎると秋がくる。

 

あんなに楽しかった夏が終わる。

 

祭りの後の哀しさを、より秋が酷くする。

 

大学三年生の時、学祭で阿波踊りが終わった瞬間に泣き出してしまったことがある。

 

みんなで楽しんだ阿波踊り。今年の祭りが終わるんだと泣いてしまった。

 

男友達が抱きしめてくれたけど。

 

真冬の方が好きかもしれない。真冬の星座が好きで、空気が澄んだ夜空が好きだから。

 

寂しくて、恋したいなあと思うけど、恋に臆病になっている半面、元婚約者と比べてしまってときめかない。

 

今日も元婚約者が夢に出てきてしまった。

 

元気にしてるだろうか。

 

幸せを願っているけど、全く未練がないと言ったら嘘になる。もう次に進みなよと、私の中の男が、女々しい女の私に説教する。

 

全て気持ちがぐちゃぐちゃになるのは秋のせいだ。

 

人と会わず、コーヒーを飲んで読書する。

 

孤独を噛み締める、秋。

失敗を怖れず

今回は自分に言い聞かせる日記。

 

一緒にメイクイベントコラボをした、フリーランスのメイク講師の人が中心に企画している、シェアオフィスの懇親会に参加した。

 

シェアオフィスのメンバーにならないかと、メイク講師の方に誘われたのだ。でも美容家の人が沢山集まっているから、実際ノエビアの他の販社さんだったり、ポーラさんだったり、ハリウッド化粧品の方だったり、ベビーマッサージ、若石マッサージだったり、沢山の同業者がいっぱいいる。

 

企画したフリーランスのメイク講師の方は、潰し合いにならないようにと、お互いコラボなどして高め合う、勉強会になるようにとミーティングで言っていた。

 

そしてそのシェアオフィスのスタッフや、美容のマルシェのスタッフをすることになった。

 

そして月二回、出張マッサージをシェアオフィスに隣接しているカフェでやることになった。

 

前にいたカフェは、綺麗に別れられた。色々仕事をフリーランスのメイク講師の方から教わったらいいよと、カフェのオーナーが言っていた。

 

でもフリーランスのメイク講師の方に、これから厳しく言われるだろうな、怒られるだろうなと、ちょっとビクビクしつつも、そのフリーランスのメイク講師の方は、学生の時ハンドボールの部長をやっていたので、なんだか部活みたいにやる気が出てきている。いや、仕事を部活という例えはちょっと語弊があるかもしれないけど、面倒見がいいので、ついていきます、先輩!!みたいなノリ笑

 

ゆるい雰囲気ではないので、厳しく鍛えよう。叱られてもなんのその。失敗を怖れず頑張ろう。

 

今回は場所代がつくので、のんびりできない。そう、危険な方の道を選んだのだ。でも直観だ。

 

やるといったからには、ベストを尽くし、目の前のことを一所懸命に。フリーランスのメイク講師のビジネスのエッセンスを取り込んで、目の前のことをやるだけ。

 

不安が全くないと言ったら嘘になる。

 

頑張ろう。

 

 

結婚について考える

婚約破棄して1年が経った。籍は入れてないけど、通い婚をしていた9ヶ月。それで色々わかったのは、私はまだ結婚する段階ではないこと。経済力のない私が、無理やり結婚するとなって、凄くマリッジブルーだった。

 

今の状態は、離婚してでも大丈夫なくらい「自立」することと、自分に言い聞かせている。

 

結婚がよくわからない。でも婚約していざ結婚の準備するとなると、やはりお金が必要なのだなとひしひしと感じた。子供を育てるとお金が必要。今は男性も女性も経済力がないと、子育ては難しい時代。

 

先日面倒くさい男性に絡まれた。私のことを本当の愛をしてないだの、我儘だのと言われた。

 

今年の3月に元婚約者に、家族と縁を切って駆け落ちを誘われたが、家族も大事だし、仕事も進んでいるので、断った。それを面倒くさい人に伝えると、

「彼も家族も大事なんて、我儘だよ!何か捨てないと!」と言われた。

その方はバツイチ子持ちで、不倫やドロドロの恋愛をしたこともある、44歳独身。幸せな家庭を築いた人に言われるなら説得力あるけど、そんな人に、本当の愛をしたことがないと言われても、説得力がなかった。

 

友達に駆け落ちは古今東西、逃げることだから、2人だけ幸せならいいという方が、我儘だと思う。家族もパートナーも大事な方が、本当の愛だと思うと言われた。

 

モード雑誌GINZAで、岡村靖幸結婚への道の対談コラムで、上野千鶴子が出てきた。好きなコラムだか、上野千鶴子が出てくるなんて、びっくりした。名言がいっぱいだったので、引用する。

 

上野 :初めにね、結婚を「問い」にするというこの切り口がいいと思いました。セックスや恋愛は問いにはなりませんから。

岡村:なぜですか?それは本能だからということですか?

上野:「人間には性欲がある」と思われていますから、誰も「人はなぜセックスするのか」と問いません。「人はなぜ恋愛をするのか」という問いも、「恋愛はしないよりもしたほうがいい」とみんな思っているから問いにはなりません。ところが、「人はなぜ結婚するのか」というと、これは“謎”なんです。前の2つの問いよりも謎が大きい“秘境”なんです。

 

腑に落ちた。本当に謎だ。だから色々な人になんで結婚したのか?と問う。そう、“謎”なのだ。上野千鶴子は結婚を分かりやすく定義している。

「自分の身体の性的使用権を生涯にわたって唯一人の異性に譲渡する契約のこと」

結婚したら、もう他の人と恋愛ができない。不倫。子供がいるとさらに泥沼。だから私は結婚を躊躇ったのだ。別れても子供ができても、自立できるぐらい、経済力のある女性にならないと。

岡村靖幸はこんなことを対談で言っていた。

 

岡村:男女の関係は、時間が経てば刺激は磨耗していくものだし、馴れ合いになっていく。お互いの嫌なところも見えてきます。それは当然なんです。結婚してもなお刺激が磨耗せず、他人にも目が向かず、円満状態でいる、というのはものすごく奇跡的なことだと思っています。

 

その発言に結婚して母親になった女性はこういうと上野千鶴子は言っていた。

「家族になっちゃったら性欲が湧かないわよね」

 

こうも言っていた。

上野:人間の感情とか欲望を契約で縛ることができますか?

 

そしてこうも。

岡村:恋愛感情と性関係が僕の場合は混在してるんです。セックスはセックス、恋愛は恋愛とはなってない、僕のなかでは。

上野:私だって混在してます。興味をもつというのは愛の始まりです。相手に興味をもち、「あ、この人面白いな」と思ったとき、体が自然と前のめりになるじゃないですか。その体がそのまま倒れかかれば、そのままセックスに至る。それだけの話です(笑)。

 

そしてこの部分。

 

上野:安心ということでいうと、私も結婚した人たちに、「なぜ事実婚じゃだめなの?」という問いかけをしてみました。そこでわかったのは、ああ、この人たちは“保険”に入ったんだなということ。結婚という名前の“保険”。ただし、この保険は、不良債権を出している保険会社の保険に入るようなものです。当てにならない保険に入るなんて幻想そのもの。それでも人間は保険に入りたい生き物なんだと。それが幻想だとわかっていても、それが人間の弱さで、人間の愚かさなのだと。私は、自分に保険はかけたくないと思っています。それでも保険に入りたいですか?

 

そしてこんなことも。

上野:私はね、教え子が結婚の報告にやってくるとこんな言葉で祝福するんです。「自分の人生に巻き込んでも相手の人生に巻き込まれてもいいと思える相手と巡り会えるなんて、人生のうちで指折り数えるほどの稀少な出来事。そのくらい血迷える相手に出会ったことは幸せね」って。

 

纏まりがなくて分かりにくて、読者の人には申し訳ないが、それぐらい私にとっても結婚は“謎”なのだ。まだまとまらないから、こうごじゃごじゃした日記になってしまった。

 

でもそういう経験(結婚のこと)をもつことはいいことだと思います。人生を豊かにすることですから。

 

そう上野千鶴子岡村靖幸に言っていた。

 

 

 

結婚が幸せだとは限らない。ゴールとも思ってもいない。“契約”して所有する、されるというのが嫌だったのだと思う。母になり性欲も湧かないのに、他の人と恋愛関係になるとルール違反となりごちゃごちゃになる。

けど、上野千鶴子は沢山の「お友達」ができるが、感情を鎖で縛りつける権利はないという。そんなおぞましいことはできない。なぜなら私もそうだからと言っていた。人の気持ちはうつろっていくもの。

そんな沢山の「お友達」ができるとフリーセックスと短絡的に言われるのが、わからないと。人を縛られ所有され、だから人の感情を縛りつけない。なぜなら私もそうだから。お友達が他の女性とできたという経験もあるから、ひたすら悲しいと。人の心は縛りつけないなあとほろほろ泣く。それをやめろとはいえない。自分自身もそうだし、人の心は移り変わるものだから、ひたすら泣くと。そう上野千鶴子は言っていた。

 

まだまだ結婚はわからない。二人になればなんとかなるんじゃないかと思って結婚したと大学の恩師は言っていた。

私は家族を持ってみたい。上野千鶴子は(結婚は)人生を豊かにするものですからと言ってたのが印象的だった。

私はまだこの人だとなんとかなるという相手に出会えてないのかもしれない。

元婚約者は統合失調症を受け入れる人ではなかった。でも憎しみはない。そういう人なのだろう。だからかもしれないが、どこか信頼できなかったのかもしれない。でも彼の幸せを祈っている。それは本当の気持ち。彼も私の幸せを祈っている。

 

今やらなきゃいけないこと、頑張らなきゃいけないことをやるだけ。それは今現在はっきりと分かるビジョン。仕事も少し開けてきたので、前に進む。

 

 

一年が経ちます。

明日で一年が経ちます。

 

婚約破棄して丸一年です。

 

この一年、私の精神はグチャグチャでした。

 

元婚約者が、淡路島へ引っ越しして、物理的に離れ、そこから精神も落ち着きました。

 

そして同じ時期に離婚した、フリーランスのメイク講師の人と仲良くなり、メイクのやりたい方向性が似てるので、給料は出ないのですが、メイク講師のアシスタントをすることになりました。

 

そして、他メーカーで内緒ですが、美容部員になろうとおもいます。

 

メイクの資格は取れたのですが、1級が2割弱しか受からない難問で、3級2級でちょっと気が緩んだので、ドギマギしてます。

 

昨日冷静にカフェのオーナーと話しをしました。

 

元婚約者と別れて、カフェがひとみちゃんの居場所みたいになって、居場所を探していたからね、ちょっと冷静になれたのはよかったねと暖かい言葉をくれました。

 

別れた直後は、オーナーは話しを聞いてくれ

て、

そうだ、この人は暖かい人だったんだと思い、オーナーにビクビクしていた私が、情けなくなりました。

 

言葉の選び方も、気をつけなよ、女社会怖いからとも言われました。

 

考えすぎるというか、まあそれも病気のせいなのだろうとも言ってくれました。

 

勘違いされやすいとも、ズバッと指摘されました。本当にそうです。

 

最終判断を母親に求めたり、母親が出てきたりするから、良い方向に働けばそれでいいのだけど、窮屈に感じたり、よくない方向にいくのはしんどいからね、みたいなことを言っていました。

 

浅田真央ちゃんや、福原愛ちゃんみたいに良い方向に働けばいいのだけどと。

 

高校で一番印象的に残っているのは、高校入学して一年生の担任に、

「貴方の最大の壁は母親ね」

と断言されたのが、衝撃でした。

 

何かしら障害になるのは、母親です。一元論で共依存とよく括り付けられます。まあ、そうとも言えるでしょう。

 

母親は、ひとみが病気でなければほっといているけど、ひとみが病気だからとほっとけなくてと言い、結果過保護になっています。

 

その過保護が病気を悪くしているので、実家を出ようと思います。

 

徳島市内。他メーカーで女社会だから、本当に人間関係には気をつけないと。心理学とか習ったら?とカフェのオーナーに言われました。実際、営業の方もどう引き寄せるか心理学を習っているそうで。

 

31にもなって、母親がどうたらこうたらと言っているのは恥ずかしいのですが、社会人スキルもまだまだだからチャレンジしないと。

 

ちなみに恋のほうは、全然です。昨日も食事に誘ったメールが、返事返ってきませんでした笑

 

まあ、のんびりいきます。

 

婚約破棄をしてわかったのは、焦らなくてもいいということです。のびのびと生きていきます。子供作らなきゃとか結婚しなきゃとかの社会的圧力に屈しません。

 

縁があれば、結婚するのでしょう。恋愛面に関してはのんびりいきます。

 

結果オーライです。

言葉の選び方に注意をして。

自分でもよく思う。自分でも自分がめんどくさいとよく思う。身体がいうこと聞かない。どうセーブすればいいかわからない。

グルグルグルグル。

 

忙しいと精神が楽だけど、疲れるとなかなかエネルギーがでない。

 

ほどほどに暇にしていると、良くない思考回路になってしまう。

 

体力温存して、暇にしているとグルグルする。

 

私は悩みやすい。疲れやすい。

 

このブログにも書いたが、カフェの一角を借りて出張エステをしている。

ゴールデンウイークに、このカフェでエステをしたいセラピストがいるから、私がいるので断っていると。ステップアップとして使ってほしいとカフェのオーナーに言われた。

 

なので数日前、早めに卒業しなきゃなとおもって、カフェのオーナーにメールをしたが、

待機しているセラピストさんいないよー。

と言われてビックリした。忙しすぎて忘れやすいとは聞いていたが、混乱してしまった。

 

ひとみちゃんは、ちょっと言葉の選び方を注意したほうがいいかもねー、とボディブローを受けてしまった。

 

オーナーは東京からの移住者。地域性なのだろうか。はっきりだけどクッション置いて言う関西圏と、キツく言う関東圏の言葉の違いを最近よく思い知る。

 

横浜出身の元婚約者も、私に対して仕事面での信頼度は低いとはっきり言われた。

 

キツくはっきり言う。関西はやんわり言う。

 

大学の時、京都の言葉の使い方が四国と違って悩んでいたけど、東京の人にも言われて私成長できていないなと、悔しい思いをしている。

 

でも毎週日曜日に出張エステなのだが、日曜日だとメイクイベントのアシスタントができないので、今年中には辞めるつもりではいた。

 

でも喧嘩別れしないように、綺麗に別れられるように、冷静になってオーナーと直接話しをしよう。

 

冷静に、落ち着いて、話しができますように。

精神障害者の私が思うこと~相模原事件を受けて~

私のブログで一番アクセス多いのが、内海聡関連の記事なのだが、

内海聡の本を読んで、精神疾患や障害者の差別や偏見を助長させる本だと書いた。

そして、内海聡が障害者を産んだのは親の責任という、人権侵害の発言をし、三宅洋平が擁護のブログ記事を書いていた。

最初の緑の党の時は、彼に投票したのだけれど、その擁護のブログをみて、彼を支持するのをやめた。

この間の参議院選挙で落選した時に、内海聡を擁護したことのお詫びの記事を書いていたが。

内海聡や障害者の親が反省すると書かなければ、当選していたのかもしれない。落ちた理由はそこだろう。

医師免許をもった内海聡に、直接接触し、暴言を吐かれ、それから心が鉛のようなダメージがまだ今もあるのだが、相模原事件で、とうとう日本にも来たかと思った。

そういうマイノリティを排除する流れがあったのだが、いつか日本もそういうのがあるかもしれないと、数年前に予感していたから。

何を予感していたというのを具体的に書くと、日本が益々右寄りな国家になってきたから。そういう優生思想を感じ取ったから。内海聡、三宅洋平の件に対して。

石原慎太郎麻生太郎が、老人はさっさと死ねとか、そういう「社会では使えない」人々を排除する流れがあったから。

表層的に民主主義国家だけど、内面は軍国主義ナチスドイツみたいに、使えない障害者を戦争が起こったときに、日本は障害者を殺すのではないか。

軽度だけれど、障害者の私がびくびく感じ取っていたことが、分かりやすい「形」で相模原事件が起こっていた。

ネットでも、加害者は躁病で、精神疾患だ、統合失調症だと差別的に見るけれど、その精神疾患を差別的に見るのも、犯人と大なり小なり同じことをしていると思ってほしい。

精神疾患は、みんな反社会的ではない。犯人はサイコパスだ。

統合失調症だから危ないやつとみるのも、犯人と同じことをやった優生思想だということ。

統合失調症は、サイコパスではない。それは知っておいてほしい。

精神疾患は危ないやつではない。普通の人と思ってほしい。危ないやつと偏見を持つのも、犯人と同類ということ。精神疾患は社会にはいらないやつという、優生思想だということ。

一個人として、精神疾患を含む障害者と接してほしい。

精神疾患を危ないやつとみるのは、犯人と同じ偏見を持っていること。

それに気づいてほしい。障害者も一人の「人」なのだ。

障害者というレッテルを取り除いて接してほしい。

事件の根本的解決はそこだろう。

障害者の私が伝えたいのはそれです。

ノスタルジックな旅に出て。

先週末、第二のふるさと京都へ行った。貧乏学生で何もない空っぽの幸せな時期を一緒に生きていた、仲良くしていた友達の復活ライブ。

友達と書いているけど、向こうはどう思っているかは知らない。

でも、一時期仲良くはしていた。よく家に出入りしていた。

 

初めて会ったとき、バンドの中心人物のH君は、身体がボロボロだった。高校中退、日雇いのバイトで食いつなぐフリーター。ヘルニア持ちの、花粉症、過呼吸パニック障害など持病を沢山持っていた。

なので、よく差し入れを持っていった。甘いのが好きなH君に、アイスを持っていったり。

みんな持ち寄りで、よく鍋や、飲み会をしていた。

みんな貧乏だったけど、私にとっては何もないが、とても幸せな時期だった。

空っぽの、とても幸せな時期。

 

最初にそのH君のバンドを見たときは、今はインストバンドだけど、歌っていたのだ。

でも当時はおどおどして、びくびくした印象。

今は辞めちゃったけど、H君と同じ高校のドラムをやっていたW君とH君は同じ家に住んでいた。そしてよくお世話になっていた姉的存在の女性も住んでいた。ルームシェアをしていたのだ。

印象的な言葉がある。その幸せな時に、「俺たちこれからどうなるんだろう?」など、将来に対する不安を述べていた。

私はとりあえずバンド頑張ってみなよ、と今思えば軽々しい言葉を述べたものだと、自分の浅はかさにびっくりする。

でも、彼らの音楽は好きだし、応援したかったのだ。

実際彼らは本格的に動き出し、全国ツアーもするようになった。タワレコインディーズチャートで21位になっていた。

でもどんどん有名になるにつれ、現実を目の当たりしたみたいだ。有名なバンドなのに、30歳過ぎてコンビニ店員とかいたみたいで、それをみてH君は死ぬ気で起業した。

数年で億単位で稼ぐようになり、今は従業員100人を超え、年商2億らしい。

最初あったときは、精神科に行く金もなく、今は精神科に通っているけど、7年ぶりの再会と久しぶりのライブは、余裕を感じた。

私が京都にいたころは、眼光が良くも悪くも印象的だった。鋭いともいえるかもしれない。ギラッとしていて、その目で見られるとちょっとびくっとした時もあった。

7年ぶりのライブは、当日券目当てに並ぶ若い子が沢山いてびっくりした。

思わず、「並んでいるのか。。」と声に出してしまったほど驚いた。

最初別のライブハウスの時は身内含めて、お客さんが6人の時もあったのに、復活ライブは200人を超えていた。

youtubeなどで、口コミが広がっていったらしい。凄く感慨深かった。

ライブ会場も、京都の音楽シーンには欠かせないクラブハウス。最初そこでライブし始めた時は、敷居が高いので出られるだけで喜んでいたのに。

大トリで、H君のバンドのためのライブ。老舗のクラブハウスで。

 

会場に入って、私は相変わらず大学の時みたいにレトロなワンピースを着ていたのだけど、何かフィルターが違って見えた。

レトロなファッションが好きなのは変わらない。でもそのファッションも大学の時に比べたら、あか抜けたし、大学の時によく通っていた箱で、大学の時によく見に行っていたバンドを相変わらず同じ場所で開演するのを待っていたのだけど、ノスタルジックになりつつも、「何かが違う」と感じた。大学の時の私と、今の私。確実に分かったのは、「フィルターが違う」と感じたこと。

H君もベースのT君も余裕のある柔らかな表情になっていた。

T君が社交性が高くなっていたのは驚いた。みんな良い大人になっていた。四国ツアーの時、私の実家に泊りに来ていたのだけど、T君はその時おどおどしていたのに。

 

H君を見習いたい。病気持ちだけど、それを隠さず、ファンの人たちもどこかそれを「キャラ」として受け止めているような。

 

空っぽだったあの時のメンバーは、鍼灸師になったり、雑貨屋になったり、何かしら自力で生きている。特化した例がH君だ。

そのライブの夜に女友達の家に泊まったのだけど、私のことを良い大人になったとお褒めの言葉を頂いた。

 

あの空っぽの何もないメンバーは良い大人になった。私も負けじと一人前に生き抜こうと思う。