言葉の選び方に注意をして。
自分でもよく思う。自分でも自分がめんどくさいとよく思う。身体がいうこと聞かない。どうセーブすればいいかわからない。
グルグルグルグル。
忙しいと精神が楽だけど、疲れるとなかなかエネルギーがでない。
ほどほどに暇にしていると、良くない思考回路になってしまう。
体力温存して、暇にしているとグルグルする。
私は悩みやすい。疲れやすい。
このブログにも書いたが、カフェの一角を借りて出張エステをしている。
ゴールデンウイークに、このカフェでエステをしたいセラピストがいるから、私がいるので断っていると。ステップアップとして使ってほしいとカフェのオーナーに言われた。
なので数日前、早めに卒業しなきゃなとおもって、カフェのオーナーにメールをしたが、
待機しているセラピストさんいないよー。
と言われてビックリした。忙しすぎて忘れやすいとは聞いていたが、混乱してしまった。
ひとみちゃんは、ちょっと言葉の選び方を注意したほうがいいかもねー、とボディブローを受けてしまった。
オーナーは東京からの移住者。地域性なのだろうか。はっきりだけどクッション置いて言う関西圏と、キツく言う関東圏の言葉の違いを最近よく思い知る。
横浜出身の元婚約者も、私に対して仕事面での信頼度は低いとはっきり言われた。
キツくはっきり言う。関西はやんわり言う。
大学の時、京都の言葉の使い方が四国と違って悩んでいたけど、東京の人にも言われて私成長できていないなと、悔しい思いをしている。
でも毎週日曜日に出張エステなのだが、日曜日だとメイクイベントのアシスタントができないので、今年中には辞めるつもりではいた。
でも喧嘩別れしないように、綺麗に別れられるように、冷静になってオーナーと直接話しをしよう。
冷静に、落ち着いて、話しができますように。
精神障害者の私が思うこと~相模原事件を受けて~
私のブログで一番アクセス多いのが、内海聡関連の記事なのだが、
内海聡の本を読んで、精神疾患や障害者の差別や偏見を助長させる本だと書いた。
そして、内海聡が障害者を産んだのは親の責任という、人権侵害の発言をし、三宅洋平が擁護のブログ記事を書いていた。
最初の緑の党の時は、彼に投票したのだけれど、その擁護のブログをみて、彼を支持するのをやめた。
この間の参議院選挙で落選した時に、内海聡を擁護したことのお詫びの記事を書いていたが。
内海聡や障害者の親が反省すると書かなければ、当選していたのかもしれない。落ちた理由はそこだろう。
医師免許をもった内海聡に、直接接触し、暴言を吐かれ、それから心が鉛のようなダメージがまだ今もあるのだが、相模原事件で、とうとう日本にも来たかと思った。
そういうマイノリティを排除する流れがあったのだが、いつか日本もそういうのがあるかもしれないと、数年前に予感していたから。
何を予感していたというのを具体的に書くと、日本が益々右寄りな国家になってきたから。そういう優生思想を感じ取ったから。内海聡、三宅洋平の件に対して。
石原慎太郎や麻生太郎が、老人はさっさと死ねとか、そういう「社会では使えない」人々を排除する流れがあったから。
表層的に民主主義国家だけど、内面は軍国主義。ナチスドイツみたいに、使えない障害者を戦争が起こったときに、日本は障害者を殺すのではないか。
軽度だけれど、障害者の私がびくびく感じ取っていたことが、分かりやすい「形」で相模原事件が起こっていた。
ネットでも、加害者は躁病で、精神疾患だ、統合失調症だと差別的に見るけれど、その精神疾患を差別的に見るのも、犯人と大なり小なり同じことをしていると思ってほしい。
統合失調症だから危ないやつとみるのも、犯人と同じことをやった優生思想だということ。
統合失調症は、サイコパスではない。それは知っておいてほしい。
精神疾患は危ないやつではない。普通の人と思ってほしい。危ないやつと偏見を持つのも、犯人と同類ということ。精神疾患は社会にはいらないやつという、優生思想だということ。
一個人として、精神疾患を含む障害者と接してほしい。
精神疾患を危ないやつとみるのは、犯人と同じ偏見を持っていること。
それに気づいてほしい。障害者も一人の「人」なのだ。
障害者というレッテルを取り除いて接してほしい。
事件の根本的解決はそこだろう。
障害者の私が伝えたいのはそれです。
ノスタルジックな旅に出て。
先週末、第二のふるさと京都へ行った。貧乏学生で何もない空っぽの幸せな時期を一緒に生きていた、仲良くしていた友達の復活ライブ。
友達と書いているけど、向こうはどう思っているかは知らない。
でも、一時期仲良くはしていた。よく家に出入りしていた。
初めて会ったとき、バンドの中心人物のH君は、身体がボロボロだった。高校中退、日雇いのバイトで食いつなぐフリーター。ヘルニア持ちの、花粉症、過呼吸、パニック障害など持病を沢山持っていた。
なので、よく差し入れを持っていった。甘いのが好きなH君に、アイスを持っていったり。
みんな持ち寄りで、よく鍋や、飲み会をしていた。
みんな貧乏だったけど、私にとっては何もないが、とても幸せな時期だった。
空っぽの、とても幸せな時期。
最初にそのH君のバンドを見たときは、今はインストバンドだけど、歌っていたのだ。
でも当時はおどおどして、びくびくした印象。
今は辞めちゃったけど、H君と同じ高校のドラムをやっていたW君とH君は同じ家に住んでいた。そしてよくお世話になっていた姉的存在の女性も住んでいた。ルームシェアをしていたのだ。
印象的な言葉がある。その幸せな時に、「俺たちこれからどうなるんだろう?」など、将来に対する不安を述べていた。
私はとりあえずバンド頑張ってみなよ、と今思えば軽々しい言葉を述べたものだと、自分の浅はかさにびっくりする。
でも、彼らの音楽は好きだし、応援したかったのだ。
実際彼らは本格的に動き出し、全国ツアーもするようになった。タワレコインディーズチャートで21位になっていた。
でもどんどん有名になるにつれ、現実を目の当たりしたみたいだ。有名なバンドなのに、30歳過ぎてコンビニ店員とかいたみたいで、それをみてH君は死ぬ気で起業した。
数年で億単位で稼ぐようになり、今は従業員100人を超え、年商2億らしい。
最初あったときは、精神科に行く金もなく、今は精神科に通っているけど、7年ぶりの再会と久しぶりのライブは、余裕を感じた。
私が京都にいたころは、眼光が良くも悪くも印象的だった。鋭いともいえるかもしれない。ギラッとしていて、その目で見られるとちょっとびくっとした時もあった。
7年ぶりのライブは、当日券目当てに並ぶ若い子が沢山いてびっくりした。
思わず、「並んでいるのか。。」と声に出してしまったほど驚いた。
最初別のライブハウスの時は身内含めて、お客さんが6人の時もあったのに、復活ライブは200人を超えていた。
youtubeなどで、口コミが広がっていったらしい。凄く感慨深かった。
ライブ会場も、京都の音楽シーンには欠かせないクラブハウス。最初そこでライブし始めた時は、敷居が高いので出られるだけで喜んでいたのに。
大トリで、H君のバンドのためのライブ。老舗のクラブハウスで。
会場に入って、私は相変わらず大学の時みたいにレトロなワンピースを着ていたのだけど、何かフィルターが違って見えた。
レトロなファッションが好きなのは変わらない。でもそのファッションも大学の時に比べたら、あか抜けたし、大学の時によく通っていた箱で、大学の時によく見に行っていたバンドを相変わらず同じ場所で開演するのを待っていたのだけど、ノスタルジックになりつつも、「何かが違う」と感じた。大学の時の私と、今の私。確実に分かったのは、「フィルターが違う」と感じたこと。
H君もベースのT君も余裕のある柔らかな表情になっていた。
T君が社交性が高くなっていたのは驚いた。みんな良い大人になっていた。四国ツアーの時、私の実家に泊りに来ていたのだけど、T君はその時おどおどしていたのに。
H君を見習いたい。病気持ちだけど、それを隠さず、ファンの人たちもどこかそれを「キャラ」として受け止めているような。
空っぽだったあの時のメンバーは、鍼灸師になったり、雑貨屋になったり、何かしら自力で生きている。特化した例がH君だ。
そのライブの夜に女友達の家に泊まったのだけど、私のことを良い大人になったとお褒めの言葉を頂いた。
あの空っぽの何もないメンバーは良い大人になった。私も負けじと一人前に生き抜こうと思う。
満たされる
オープンダイアローグへの希望
私は軽度だが統合失調症だ。でも健常者に見えるくらい普通なので、健常者の扱いをされ、苦しむことが多い。
担当の精神科医も、普通に見えるから、あなたはそれが苦しいんだと思うと言われたことがあるくらいだ。
でもカミングアウトしたらしたで、腫物のように扱われるのもしんどい。
健常者のふりをして、隠すのもしんどい。
健常者と思われ、説教されると凄く精神的ダメージをくらう。
この間も、出張エステ先のカフェを手伝ったら、クレームが来てしまった。
生まれて初めての飲食業。ゴールデンウイークでラッシュで、カフェはフル回転だった。
疲れて、余裕がなく、気配りが出来なくて、ロボットのような対応をしてしまった。
それが20分もまたされ、イライラしてたお客様への対応が悪かったみたいだ。
オーナーに、あなたは接客を学んだほうが良いと言われた。
そして後日、
次の場所を探した方がいい、働くのがなにか考えた方が良いと言われた。
カフェの出張エステサロンは、ステップアップのために使ってほしいとの事。あたしがいるから、他のエステシャンを断っているそうだ。それは知らなかったことだ。
ちょうど、どうなるかわからないけど、他の高級温泉のホテルの営業の人から声がかかっているから、そっちに流れてもいいかもしれない。
統合失調症は、感じやすい。気配りができなかったり、一日中気を張って生きてるようなものだ。だから引きこもる。
人と接するのは、気が張るからだ。私はそれを隠しているぐらい、我慢して無理をしている。
そして、私のことを健常者と思っていたオーナーに注意を受け、ぐるぐるして、オーナーにカミングアウトした。
そうしたら、カフェのみんなやお客様がどう気持ちよくなるか考えて。シンプルでしょと言われた。
統合失調症でなければ、どんだけ仕事ができるか、疲れないか。病気さえなければバリバリに働けるのに。一人前になれるのに。
15年間精神疾患だけど、常に思っているコンプレックスだ。差別されるから、隠していかなきゃならないし、孤独を感じる。
坂口恭平に、どう病気や環境と付き合っていけばよいかメールをした。
そうしたらオープンダイアローグを読んでみたらいいと言われた。
色々調べたら、「開かれた対話」と言われるらしい。
詳しくはコチラ↓
『開かれた対話』フィンランドにおける精神病治療への代替アプローチの (Open Dialogue, Japanese subtitles)
私の今の症状は、左肩を触られるくらいの軽い幻覚がある。でも急性期の時は、頭がフル回転で、色々なことが言われて、何がなんだかだった。酷い幻覚と幻聴が聞こえてきた。
落ち着いてきたら、入院していた時も、誰とも接さず、自分の身体の中に閉じこもっていた感覚だ。そして幻聴と対話していた。
その幻聴も、幻聴と思えず、今思えば、起きながら夢の中にいたような感覚だ。
今左肩を触られている感覚も、夢の中で触られている感覚と一緒だ。
安定はしているけど、月に8千円も薬代がかかるのは厄介だ。そして一生薬を飲み続けて、そして病気は治らないと言われている。ずっと病気と付き合わないといけない。
でも、このオープンダイアローグは、最終的には薬は飲まず病気は治っている。
薬も少量出すけど、90日後には寛解して、薬も飲まず社会復帰をしている。
その幻覚や幻聴も、否定をせず実際あるものとして受け止めている。
私も幻聴は、「内なる声」のようなものだと思っている。私が無意識に思っていることが、幻聴として聞こえてきた。心の奥深くの「言葉」だ。それと対話をしていた。
その対話を医師とセラピストと家族と親友とで、一緒に会話をするわけだ。
それは孤立もせず、孤独も感じない。幻聴という声を否定はしないのだから。
幻ではない声。深層心理にある「内なる声」なのだ。
斎藤環さんの、「オープンダイアローグとは何か」という本が、反響を呼んでいる。
日本もいつか、実践してほしい。
私も病気で孤立したり、孤独になるのは嫌なのだ。
私だって、バリバリに社会復帰したいのだ。
どうか、日本にもオープンダイアローグを。
一つに繋がる
何だか色んな人に色んなことを言われる。
初対面なのに、あなたはこうで、こうで、こうよね?と勝手に決めつけられ、
またあんまり深く接していない人には、Facebookの動きだけで、
「君は不思議ちゃんだね。Facebookでも色んなところに興味を示しているけど、
一つのことを極められない。」
と言われた。
一つのことを極めるってどういうレベルのことを言っているんだろう。
まだ10代の頃は、色んなスポーツをやってきたが、陸上の走り幅跳びは、県で5位。
弓道は新人大会で県で個人優勝だった。
でも全国大会には、行っていない。
そつなく、色んなことをこなせるが、全国には行ったことがなかった。
全国レベルではない私。
今もなんとなくそつなくこなせるが、全国レベルではないレベルだろう。
広く浅く知っているけど、深い知識は私は何を持っているのだろう?
やはり着物だろうか。
ちょっとモヤモヤして、大学の恩師に電話したら、
「自分の軸なんて40歳ぐらいにできるから、焦らなくても良い」
と言われた。
今30歳の私のビジョンとしては、『装うこと』が、私の強みになっている。
身だしなみを整えることで、エネルギーとなる。
元気がない時こそ、メイクをちゃんとして、おしゃれして。
そうして婚約破棄をのり越えた。
この間は親しくしてもらっている女性に、綺麗になったと言われた。
色々手を出して、それが一つに繋がることがある。
大学の卒論の時も、色々勉強をして、卒論のテーマが4年間の集大成のように、一つに繋がった。
『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』でも、同じことを筆者は書いていた。
メイクやファッションが、セラピーに繋がるなんてびっくりした。
こんな不思議の国の歪みで苦しんで、精神を病んだり、自殺している人の手助けになるかもしれない。
メイクやファッションで世の中を変えてやるとまで大きなことは言えないかもしれないけど、ゼロではないということ。
色々やってきて、またそれが一つに繋がった。
ファッション、着物、メイク、自殺者、閉塞感。
社会にでて初めての感覚だ。卒論以来だ。
私としては、ちょっとでも心の支えになれたら。生きやすくなれたら。
小さいころから感じていた、この奇妙な国の閉塞感を良くしてくれたら。
私の目指すところは、そこだ。