ノスタルジックな旅に出て。
先週末、第二のふるさと京都へ行った。貧乏学生で何もない空っぽの幸せな時期を一緒に生きていた、仲良くしていた友達の復活ライブ。
友達と書いているけど、向こうはどう思っているかは知らない。
でも、一時期仲良くはしていた。よく家に出入りしていた。
初めて会ったとき、バンドの中心人物のH君は、身体がボロボロだった。高校中退、日雇いのバイトで食いつなぐフリーター。ヘルニア持ちの、花粉症、過呼吸、パニック障害など持病を沢山持っていた。
なので、よく差し入れを持っていった。甘いのが好きなH君に、アイスを持っていったり。
みんな持ち寄りで、よく鍋や、飲み会をしていた。
みんな貧乏だったけど、私にとっては何もないが、とても幸せな時期だった。
空っぽの、とても幸せな時期。
最初にそのH君のバンドを見たときは、今はインストバンドだけど、歌っていたのだ。
でも当時はおどおどして、びくびくした印象。
今は辞めちゃったけど、H君と同じ高校のドラムをやっていたW君とH君は同じ家に住んでいた。そしてよくお世話になっていた姉的存在の女性も住んでいた。ルームシェアをしていたのだ。
印象的な言葉がある。その幸せな時に、「俺たちこれからどうなるんだろう?」など、将来に対する不安を述べていた。
私はとりあえずバンド頑張ってみなよ、と今思えば軽々しい言葉を述べたものだと、自分の浅はかさにびっくりする。
でも、彼らの音楽は好きだし、応援したかったのだ。
実際彼らは本格的に動き出し、全国ツアーもするようになった。タワレコインディーズチャートで21位になっていた。
でもどんどん有名になるにつれ、現実を目の当たりしたみたいだ。有名なバンドなのに、30歳過ぎてコンビニ店員とかいたみたいで、それをみてH君は死ぬ気で起業した。
数年で億単位で稼ぐようになり、今は従業員100人を超え、年商2億らしい。
最初あったときは、精神科に行く金もなく、今は精神科に通っているけど、7年ぶりの再会と久しぶりのライブは、余裕を感じた。
私が京都にいたころは、眼光が良くも悪くも印象的だった。鋭いともいえるかもしれない。ギラッとしていて、その目で見られるとちょっとびくっとした時もあった。
7年ぶりのライブは、当日券目当てに並ぶ若い子が沢山いてびっくりした。
思わず、「並んでいるのか。。」と声に出してしまったほど驚いた。
最初別のライブハウスの時は身内含めて、お客さんが6人の時もあったのに、復活ライブは200人を超えていた。
youtubeなどで、口コミが広がっていったらしい。凄く感慨深かった。
ライブ会場も、京都の音楽シーンには欠かせないクラブハウス。最初そこでライブし始めた時は、敷居が高いので出られるだけで喜んでいたのに。
大トリで、H君のバンドのためのライブ。老舗のクラブハウスで。
会場に入って、私は相変わらず大学の時みたいにレトロなワンピースを着ていたのだけど、何かフィルターが違って見えた。
レトロなファッションが好きなのは変わらない。でもそのファッションも大学の時に比べたら、あか抜けたし、大学の時によく通っていた箱で、大学の時によく見に行っていたバンドを相変わらず同じ場所で開演するのを待っていたのだけど、ノスタルジックになりつつも、「何かが違う」と感じた。大学の時の私と、今の私。確実に分かったのは、「フィルターが違う」と感じたこと。
H君もベースのT君も余裕のある柔らかな表情になっていた。
T君が社交性が高くなっていたのは驚いた。みんな良い大人になっていた。四国ツアーの時、私の実家に泊りに来ていたのだけど、T君はその時おどおどしていたのに。
H君を見習いたい。病気持ちだけど、それを隠さず、ファンの人たちもどこかそれを「キャラ」として受け止めているような。
空っぽだったあの時のメンバーは、鍼灸師になったり、雑貨屋になったり、何かしら自力で生きている。特化した例がH君だ。
そのライブの夜に女友達の家に泊まったのだけど、私のことを良い大人になったとお褒めの言葉を頂いた。
あの空っぽの何もないメンバーは良い大人になった。私も負けじと一人前に生き抜こうと思う。
満たされる
オープンダイアローグへの希望
私は軽度だが統合失調症だ。でも健常者に見えるくらい普通なので、健常者の扱いをされ、苦しむことが多い。
担当の精神科医も、普通に見えるから、あなたはそれが苦しいんだと思うと言われたことがあるくらいだ。
でもカミングアウトしたらしたで、腫物のように扱われるのもしんどい。
健常者のふりをして、隠すのもしんどい。
健常者と思われ、説教されると凄く精神的ダメージをくらう。
この間も、出張エステ先のカフェを手伝ったら、クレームが来てしまった。
生まれて初めての飲食業。ゴールデンウイークでラッシュで、カフェはフル回転だった。
疲れて、余裕がなく、気配りが出来なくて、ロボットのような対応をしてしまった。
それが20分もまたされ、イライラしてたお客様への対応が悪かったみたいだ。
オーナーに、あなたは接客を学んだほうが良いと言われた。
そして後日、
次の場所を探した方がいい、働くのがなにか考えた方が良いと言われた。
カフェの出張エステサロンは、ステップアップのために使ってほしいとの事。あたしがいるから、他のエステシャンを断っているそうだ。それは知らなかったことだ。
ちょうど、どうなるかわからないけど、他の高級温泉のホテルの営業の人から声がかかっているから、そっちに流れてもいいかもしれない。
統合失調症は、感じやすい。気配りができなかったり、一日中気を張って生きてるようなものだ。だから引きこもる。
人と接するのは、気が張るからだ。私はそれを隠しているぐらい、我慢して無理をしている。
そして、私のことを健常者と思っていたオーナーに注意を受け、ぐるぐるして、オーナーにカミングアウトした。
そうしたら、カフェのみんなやお客様がどう気持ちよくなるか考えて。シンプルでしょと言われた。
統合失調症でなければ、どんだけ仕事ができるか、疲れないか。病気さえなければバリバリに働けるのに。一人前になれるのに。
15年間精神疾患だけど、常に思っているコンプレックスだ。差別されるから、隠していかなきゃならないし、孤独を感じる。
坂口恭平に、どう病気や環境と付き合っていけばよいかメールをした。
そうしたらオープンダイアローグを読んでみたらいいと言われた。
色々調べたら、「開かれた対話」と言われるらしい。
詳しくはコチラ↓
『開かれた対話』フィンランドにおける精神病治療への代替アプローチの (Open Dialogue, Japanese subtitles)
私の今の症状は、左肩を触られるくらいの軽い幻覚がある。でも急性期の時は、頭がフル回転で、色々なことが言われて、何がなんだかだった。酷い幻覚と幻聴が聞こえてきた。
落ち着いてきたら、入院していた時も、誰とも接さず、自分の身体の中に閉じこもっていた感覚だ。そして幻聴と対話していた。
その幻聴も、幻聴と思えず、今思えば、起きながら夢の中にいたような感覚だ。
今左肩を触られている感覚も、夢の中で触られている感覚と一緒だ。
安定はしているけど、月に8千円も薬代がかかるのは厄介だ。そして一生薬を飲み続けて、そして病気は治らないと言われている。ずっと病気と付き合わないといけない。
でも、このオープンダイアローグは、最終的には薬は飲まず病気は治っている。
薬も少量出すけど、90日後には寛解して、薬も飲まず社会復帰をしている。
その幻覚や幻聴も、否定をせず実際あるものとして受け止めている。
私も幻聴は、「内なる声」のようなものだと思っている。私が無意識に思っていることが、幻聴として聞こえてきた。心の奥深くの「言葉」だ。それと対話をしていた。
その対話を医師とセラピストと家族と親友とで、一緒に会話をするわけだ。
それは孤立もせず、孤独も感じない。幻聴という声を否定はしないのだから。
幻ではない声。深層心理にある「内なる声」なのだ。
斎藤環さんの、「オープンダイアローグとは何か」という本が、反響を呼んでいる。
日本もいつか、実践してほしい。
私も病気で孤立したり、孤独になるのは嫌なのだ。
私だって、バリバリに社会復帰したいのだ。
どうか、日本にもオープンダイアローグを。
一つに繋がる
何だか色んな人に色んなことを言われる。
初対面なのに、あなたはこうで、こうで、こうよね?と勝手に決めつけられ、
またあんまり深く接していない人には、Facebookの動きだけで、
「君は不思議ちゃんだね。Facebookでも色んなところに興味を示しているけど、
一つのことを極められない。」
と言われた。
一つのことを極めるってどういうレベルのことを言っているんだろう。
まだ10代の頃は、色んなスポーツをやってきたが、陸上の走り幅跳びは、県で5位。
弓道は新人大会で県で個人優勝だった。
でも全国大会には、行っていない。
そつなく、色んなことをこなせるが、全国には行ったことがなかった。
全国レベルではない私。
今もなんとなくそつなくこなせるが、全国レベルではないレベルだろう。
広く浅く知っているけど、深い知識は私は何を持っているのだろう?
やはり着物だろうか。
ちょっとモヤモヤして、大学の恩師に電話したら、
「自分の軸なんて40歳ぐらいにできるから、焦らなくても良い」
と言われた。
今30歳の私のビジョンとしては、『装うこと』が、私の強みになっている。
身だしなみを整えることで、エネルギーとなる。
元気がない時こそ、メイクをちゃんとして、おしゃれして。
そうして婚約破棄をのり越えた。
この間は親しくしてもらっている女性に、綺麗になったと言われた。
色々手を出して、それが一つに繋がることがある。
大学の卒論の時も、色々勉強をして、卒論のテーマが4年間の集大成のように、一つに繋がった。
『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』でも、同じことを筆者は書いていた。
メイクやファッションが、セラピーに繋がるなんてびっくりした。
こんな不思議の国の歪みで苦しんで、精神を病んだり、自殺している人の手助けになるかもしれない。
メイクやファッションで世の中を変えてやるとまで大きなことは言えないかもしれないけど、ゼロではないということ。
色々やってきて、またそれが一つに繋がった。
ファッション、着物、メイク、自殺者、閉塞感。
社会にでて初めての感覚だ。卒論以来だ。
私としては、ちょっとでも心の支えになれたら。生きやすくなれたら。
小さいころから感じていた、この奇妙な国の閉塞感を良くしてくれたら。
私の目指すところは、そこだ。
女という生きづらさ
社会通念に負けない
耳を閉じる
ちょっと前、教育テレビの日本戦後サブカルチャー史DIGで都築響一さんの「ヘタウマってなんだ」という回に、印象に残った場面がある。
記憶は曖昧だが、日本のヘンリーダーガーみたいに、自分でヘタウマなアニメーションを作って、三戸なつめの「前髪切りすぎた」のPVのアニメ映像まで作るぐらい、知る人ぞ知るクリエイターがいるそうだ。
その人は男性で、昔から少女漫画を描きたかったけど、デビューは出来なかった。アニメーションも、セル画は高いし、今どこにも売ってないので、百均のクリアファイルにセル画を描いて、ビデオカメラで一コマ一コマ撮って、声も自分一人で声入れをして、本当にヘタウマなのだ。宮沢章夫は、日本のヘンリーダーガーだとツイッターでその人のことをそのように例えてたけど。
まあ、ちょっとやばめなんだけど、今の時代パソコンで全部できることを、パソコンができないから、そんな手間のかかることをする。
都築響一さんは、小さいころは「人の話を聞け」と散々教師や親に言われたけど、大人になってからは、いかに「耳を閉じる」ことが重要かと言っていた。
その人も、耳を閉じてなかったらそんなやばめの事はしないだろう。
その番組のコメンテーターに、二十歳を過ぎても制服を着るアイドルがいたんだけど、都築響一さんは、お祖母ちゃんになっても着続けると、本物だろうねと言っていた。
さっきは、40前後のお姉さま方から、私のことを凄い素直で、誰の話でも素直に聞くから、騙されないように気をつけなよ、自己啓発セミナーとかスピリチュアルとか変な勧誘に騙されないようにねと言われた。
大丈夫?って聞いてくる人には注意しなよ、などなど。
今迷ってるんだろうね、視野もっと広げた方がいい、なども言われた。
半年前に、パニックになっていた京都弾丸面接の時に、大学の恩師に会ったのだが、
視野が狭くなっている、大学の時はもっと呑気だった、と言われた。
統合失調症の症状で人の話を聞きすぎるというのがあるんだけど、まあ病気の症状なんだろうが、色んな人と付き合い、訳が分からなくなり、頭がごちゃごちゃになる。
そういう時には、こうやって文章にして整理整頓をする。
自己啓発やマニュアル本、ビジネス書も意味あるのかな?と私はそういう本を読む人をあまり好意的にはみていない。
一冊だけ、松浦弥太郎の「軽くなる生き方」を読んでみたのだけど、そこまで自己啓発臭くはない本だが、身になる本ではなかった。気分が少し良くなるだけ。
自分探しとか、自分らしくとかよくわからない。自分はここにあるのに、旅に出ても路頭に迷うだけ。
ありのままもよくわからない。
世界に一つだけの花も高校の時、なんだかなーと思っていた。
最近はその曲に癒されている自分がいる。私は今疲れているんだろうな。
婚約破棄した後、ゆっくりできるお金もなくて、母親にメイクの学校に連れていかれた。
メイクの学校は行きたいと思っていたけど、落ち込んでいる時に無理やりだ。
でも、週一都会に行けてどんどん綺麗になり、ちょっとは回復した。今は自分の身体を操縦できている感覚がある。
メイクレッスンの企画も、能動的な感覚だった。
只、もっとやりたいことを明確に、視野を広げてとお姉さま方から注意を受けたので、今週末に半年ぶりに大学の恩師と会うので、色々助言をもらおうと思う。
でも、一緒にイベント企画をしているフリーランスのメイクの先生は、やりたい方向も似ているし、何より明るいので元気を貰える。
良い影響を受けるので、そのうちはっきりヴィジョンが見えるのではないだろうか。
焦りは禁物。自分に言い聞かせている言葉。
なんとかなると思って、今日も少しずつ前を向いて進む。
どうせ一寸先は闇なのだ。切り開いていくしかない。
耳を閉じることも忘れずに。